発信することで社会や未来へ“つなげる”
長濱ねるが日常生活で学んだこと、発見した気づき、周りの人と話したいことをトークテーマに発信する連載。
あらゆる多様な価値観や文化の違いを理解する、しなやかな思考を育むため、日常での気づきや仕事で学んだこと、感情の変化をシェアしていく。
長濱ねるから皆さんへ“つなげる”、そして社会や次世代に“つなげる”。そんな思いと希望を込めて。
「こんにちは、長濱ねるです。今回考えてみたのは、自分の中にある無意識の偏見についてです。身近な会話の中やメディアの表現で出てくる、年齢や性別について、そして“太っている”、“痩せている”、“美しい”などルッキズムに関することなど、改めて考えてみるといろいろな無意識の偏見が、世の中に蔓延っていると実感しました。そして、その無意識の偏見について考えて見えたのは、誰かを気遣う思いやりでした」
ねるさんのこれまでの連載記事はこちら→tsuNagERU(つなげる)SDGs

誰かの年齢や体型を言及する必要なんてない
SDGsの17の目標の一つに、「人や国の不平等をなくそう」というゴールがある。これは、2030年までに、年齢、性別、障害、人種、民族、出自、宗教、あるいは経済的地位その他の状況に関わりなく、全ての人々の能力強化及び社会的、経済的及び政治的な包含を促進するというもので、国内、国家間の格差を是正していくことにつながる。差別的な法律、政策及び慣行の撤廃など、大きな課題に感じることも、我々が身近な偏見を認知し、話し、その理解の輪を広げていくことが課題の解決へ繋がる一歩となる。
「自分でも気づかずに持っている偏見って、きっと誰しもありますよね。例えば、“若いから”、“高齢だから”という年齢への決めつけは、日常でもよく会話に出てくる偏見の1つではないでしょうか。そして、年齢についての話題は、発言をしている本人にも悪気がなかったり、当たり前の会話のひとつとして受け入れられる場面が多いのではないでしょうか。
自分が持っている無意識の偏見ってなんだろう?と考えた時、まず思い浮かんだのは自虐についてです。私は、謙遜の意味も含め、『まだ20代で経験が少なく……』という発言をしていたのですが、これは自分を自分で下げているから、誰にも害を与えていないつもりでした。でも、実は周りの“誰か”を一緒に下げてしまっていることもあるんだと気づきました。“20代で”という年齢は、関係ない文脈ですよね。経験値は必ずしも年齢とイコールではない。年齢が若くても経験豊富な方もいらっしゃいますし、逆に年齢を重ねている人の中で経験値が浅い方がいた場合は、失礼な意味になってしまうこともあります。年齢に関して、無意識のうちに関係ない文脈で絡めてしまうことを、これからは意識して変えていきたいなと思いました。
あとは、見た目についての無意識の偏見でよくあるのが、『痩せたね』という言葉。多分、これも発言した側は、褒めているつもりなことが多いのではないでしょうか。でも、痩せていることが万人への褒め言葉なわけではないですよね。『太ったね』と言うのは失礼で、『痩せたね』と言うのは褒め言葉、という決めつけは、まだまだ身近にあるように感じます。
以前、海外移住をされた作家さんとお話しをさせていただく機会があったのですが、『電車内に痩身や脱毛の広告が多く、“痩せた方がいい”、“体毛がない方がいい”ということを日常の景色から刷り込まれてしまう。それを自分の子供に見せたくない』とおっしゃっていて。確かに、日常的に意識せずに見る広告やメディアから、“誰かが決めた美しさ”に合わせるような価値観がつくられていく可能性もありますよね。今までそれを意識していませんでしたが、その会話ではっとさせられたことを記憶しています。
『今日は顔が浮腫んでいる』とか『なんか二重の調子が悪いな』、『ニキビができて恥ずかしい』と思うことは、私も多々あるのですが、それを誰かから指摘されるとやっぱり傷ついてしまう時もあるので、人の見かけについては私も触れないようにしています。外見について、その人が何で傷つくかなんて分からないですし、何気ない言葉がずっとその人の心に残ってコンプレックスになってしまうかもしれない。だから、そもそも人の体型については触れる必要なんてないんだと思うんです」