いま、「言葉のインフレ」が起きている。日本語はこれからどこへいくのか

俵万智×川原繫人 特別対談・後編

日本を代表する歌人・俵万智と新進気鋭の言語学者・川原繁人。言葉のプロフェッショナルによる白熱の対談を前後編でお届け。

後編では短歌の字余りに日本文化の「型」、日本語の行方を語り尽くす。

前編はこちら:俵万智×川原繁人 歌人が見ている言葉の世界を、言語学者が覗いてみた

「字余り」の可能性

川原 後編は、短歌の中で重要な「字余り」からスタートしましょう。俵さんの歌は、字余りの仕方が言語学的に理にかなっている。私が特に好きなのが、最初に挙げた「『今いちばん行きたいところを言ってごらん』行きたいところは あなたのところ」という短歌。この歌は、初句から「今いちばん」と6字で字余りなのに、それをまったく感じさせません。

この短歌を分析すると、まず文字数だけ見ると確かに「い・ま・い・ち・ば・ん」で字余りになっている。けれど、日本人が五・七・五を数えるとき、文字数に近い「拍」という単位だけでなく「音節」でも数えている可能性が高い。そして、音節の観点から考えると、この歌は字余りではないんですね。

 具体的にどのようなことなのでしょうか。

川原 小さい「っ」や「ん」、「(ア)ー」「(イ)ー」「(ウ)ー」などの母音を伸ばす伸ばし棒は、前の拍にくっついてひとつの音節を形成します。そう考えると、「今いちばん」の「ん」は、自分自身では自立できない拍で、前の文字にくっついてひとつの音節を形成することになる。この音節という観点から考えると、この句は「い・ま・い・ち・ばん」と5つの音節として解釈できる。ですから、音節的には字余りではなくなるんです。「言ってごらん」も同じように解釈できます。こちらは純粋に音節で考えると、「いっ・て・ご・らん」と4つになってしまうくらいです。

「行きたいところを」も8文字で、字面だけからでは字余りに見えますが、最後の「ろを」は実際には「ろー」と発音されるので、音節的には字余りではありません。さらに言えば、「行きたい」の「たい」の部分である[ai]もひとつの音節を形成している。ですから、「行・き・たい・と・こ・ろ・は」も音節的には字余りではない。字面だけ見ると字余りが4つも含まれているこの句ですが、言語学的に考えるとどれも字余りではないんです。

ふたつの拍がひとつの音節にまとまるケースを重音節と呼ぶのですが、具体的には「っ」「ん」「ー」と[ai]のような二重母音が含まれる場合です。そう考えると、この歌はすべての重音節の種類が詰め込まれていて、拍で考えると字余りだけど音節で考えると字余りでない例を網羅している。「いちばん」の「ん」、「行きたいところを」の「ろを(ろー)」、「言って」の小さい「っ」、「たい」の「ai」。これはもう、言語学者からすればよだれが出そうなほど魅力的な歌です。