ADHD・ASDの人たちが「病」であるならば、そうでない定型発達の人にも実は「健常」でない側面があるのではないか。
そして、「健常発達」の人が人生の中で求めるものは、例えば統合失調症の人が志向し、それをきっかけに発症するようなものとなんら変わりはないのではないか──。
精神科医の兼本浩祐氏はそう考え、統合失調症を発症したある英語教師の事例について分析している。『普通という異常 健常発達という病』から再編集・抜粋して紹介する。
「生活臨床」——生活破綻のきっかけ
対人希求性(人を求める気持ち)が健常発達の心性にどう重要なのか、そのところをもう少し明確にするために、「生活臨床」という名前で呼ばれていた精神科のムーブメントのことに触れたいと思います。「生活臨床」というムーブメントは、具体的にこの対人希求性が実生活の中でどのような形をとるのかに集中的に焦点を当てているからです。
少しばかり乱暴で通俗的なまとめ方をしますが、生活臨床というのは、「色、金、名誉」のいずれかのキーワードに、統合失調症の発病のきっかけがあるという認識のもとおこなわれた運動です。

「色、金、名誉」といったきっかけが生活の破綻をもたらすので、そうならないように生活環境を患者さんの周りの人たちと医療関係者がいっしょになって整えることが大事だというものです。心ある精神科医の先生とともに地域の保健師さんとかが随分がんばって指導に奔走されたと聞いています。
「色、金、名誉」に「体」を付け加える場合もあるようですが、『生活臨床の基本』という本のなかで
実践としての生活臨床では、対象者の生活破綻のきっかけとなる「色、金、名誉」に関わる何かを奪われるか、あるいはそれを獲得する見込みが失われる状況が、破綻前に前駆していると想定されていて、これが診たての中心となります。
生活臨床は、当事者が大事に思っているものが、色なのか、金なのか、名誉なのかを、家族を含めたみんなではっきりと共有し、それを獲得ないしは守ることを、医療者を含めたみんなで応援し、当事者の求めるものに寄り添うことをめざしていたと、とりあえず講演やご本の記載からサマリーしてみます。