2023.03.17

「大物政治家」ににらまれた「新人女性記者」が、その政治家と「サシ」の取材をできるようになったワケ

日本一の「オッサン村」ーー永田町の非常識、政治メディア の実態。
全国紙初の女性政治部長が克明に記す「男社会」のリアル。

なぜ、永田町と政治メディアにオッサンが多いのか?
幾多の「壁」に直面してきた政治記者が男性優位主義の本丸で考えた、日本社会への処方箋。

*本記事は、佐藤千矢子『オッサンの壁』(講談社現代新書)を抜粋・再編集したものです。
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因縁の梶山担当

経世会という派閥を担当するということは、派閥に所属する何人かの有力政治家を担当し、毎日その政治家への取材を通して政治の動きをチェックすることを意味する。最大派閥だけに、私と先輩記者とで派閥取材を分担し、担当する政治家も割り当てられた。

そこで私は、前述したように宮澤政権で自民党の国会対策委員長に就いていた梶山静六氏を担当することになった。私は梶山氏の国対委員長番に始まって、その後も幹事長番や、1996年の橋本内閣での官房長官番と、梶山氏が要職に就くたびに担当した。

政治記者1年目の時、法相時代の梶山氏の人種差別発言を厳しく追及し、すっかりにらまれていたため、当然、国対委員長番になってしばらくは警戒され、全く相手にされなかった。他の番記者が簡単に割り出せる今日明日の日程を聞き出すのも、一苦労という有り様だった。

梶山氏は東京・九段の議員宿舎で、都合がつく限りほぼ毎朝、朝駆けにやってくる番記者たちを午前7時半ごろから招き入れ、20~30分程度の懇談をした。懇談は「禅問答」のようだった。「今日は誰と会いますか」とか「○○をいつまでにやるのですか」などといった直接的な質問は御法度だった。直接本人が答えられないようなことを、小さなことから大きなことまで、あちこち取材して積み上げて割り出すのが記者であって、それをストレートに質問すれば心底バカにされると、皆、心得ていた。努力の跡が感じられない質問に対しては、梶山氏は冷淡に対処していた。

朝駆けを受ける政治家の中には、記者たちと朝食をともにする人もいるが、梶山氏の場合はそれはなかった。その代わりではないだろうが、時々、お土産にもらったのであろうお菓子をふるまってくれた。おいしいと思って、ひょいと表示を見ると「賞味期限切れ」ということが多く、記者たちで「また賞味期限切れだ」と目配せしながら、楽しく食べた。捨てるのがもったいないと思ってのことだろうと、わかっていたからだった。

禅問答のような懇談と言ったのは、話の中にヒントをしのばせている時もあれば、相手も人間だから言葉の端々からニュアンスがにじみ出るという意味でもある。例えば、質問に対して「知らない」「忘れた」「そうだったかな」「えっ?」など、どう答えるかで、関心度合いや進捗具合をはかることができる。そんなふうにして頭の中で、断片情報をパズルのように組み合わせて、政治の動きを組み立てた。

朝駆けが終わると、国会、議員会館、自民党本部、派閥事務所、ホテルなどが取材の現場になる。梶山氏が誰と会って、政治の裏工作をしているのか、割り出す取材が主だった。梶山氏が乗っている車をタクシーで追いかけて、信号で振り切られたことも何度もあった。番記者同士「俺たち少年探偵団だな」と言って慰め合った。