平成の天皇と懇談を繰り返した作家が問う…人間としての天皇とパブリックイメージの差を、ジャーナリズムはどう克服するか
歴史から現代史を斬る生身としての人間
皇室報道を、別の歴史的な観点からも見ておきたいと思います。近現代の天皇の実像を検証しようとすると、それぞれの時代性を負わせた歴史的存在としての天皇と、生身の人間としての天皇との間にかなりのズレが生じていることに気づかされます。

明治天皇という元号がかぶせられた天皇のパブリック・イメージと、睦仁天皇という個人の人間性や思考との間には相当な乖離があります。明治天皇は、富国強兵という旗印の下で近代日本を短期間で世界の列強に伍するところまで躍進させたと評され、「大帝」として畏敬されました。果断に富み、威厳を備えた人物として語られます。
しかし実際の睦仁天皇はむしろ繊細な性格で、少年期から青年期にかけて、そして壮年期以降と、言動はかなり変化しています。少年期には怒りの感情などを露わにしていたようですが、次第に慎重で寡黙なタイプになっていったというのです。
これは、天皇の性格はどういう形が望ましいのか、自身で学び、それを表していったということではないかと思われます。睦仁天皇は、日清、日露の二つの大戦には当初、消極的でした。日清開戦の折には「この戦争は朕の戦争ではない」と言い、日露開戦の際の御前会議では涙を流したと言われています。つまり明治天皇と人間睦仁との間には、大きな開きがあるのです。
生身の睦仁天皇が戦争を忌避しようとしたのは、平和が続いた江戸時代の260年間、皇室のなかで戦争に処するための教えが伝わっていなかったことも大きかったと思います。また睦仁天皇が大戦を前にして覚えた恐怖とは、戦争によって天皇制と皇室が破壊されることへの恐怖であり、つまりは皇統の存亡の危機という思いを抱いたことによるものだと考えられます。
明治天皇は近代日本の国の形を作ったと言われ、それは事実ではあるけれど、生身の睦仁天皇は、人間的には常に困惑し、呻吟してきたのです。