「僕が悪者になる」三木谷浩史が“楽天カード立ち上げ”の裏で社員を厳しく叱責した「意外な理由」
「楽天カード」社長の回想
電話の向こうで、切迫した三木谷の声が聞こえてきた。穂坂雅之がプレーしていた仙台のゴルフ場は、よく晴れていた。
「穂坂さん、これはえらいことですよ」
「……」
「聞こえていますか。これ、真剣にやらないと本当にダメなんじゃないですか」
2005年6月、楽天は九州にあった老舗信販会社の国内信販を買収した。目的は、クレジットカード事業の拡大だった。翌2006年12月、収益率が高くないオートローン事業を売却。ところが残った資産には、巨額の不良債権が潜んでいたのだ。しかも、とんでもない数字が浮き上がってきたのである。
翌週から、穂坂と三木谷は毎週のように朝一番の飛行機で九州に向かうことになる。後に楽天の屋台骨の一つとなるクレジットカード事業は、実は危機的状況から始まっていたのである。
現在、発行枚数2700万枚、年間ショッピング取扱高14・5兆円、国内のクレジットカード業界に占めるシェアは20パーセントを超える。取扱高で、今や銀行系のクレジットカードを抜いて業界トップをひた走るのが、楽天カードだ。その社長を務めるのが、穂坂である。同時に楽天グループのフィンテックグループカンパニーのプレジデントであり、楽天グループ代表取締役副会長という肩書きを持つ。
楽天への入社は2003年、49歳のときだ。オリックス・クレジット時代に、インターネットマーケティングを使って個人向けのVIPローンカードで大きな成果を出し、業界にその名が知られていた。

個人向けのファイナンスのビジネスを構想し、サイバーエージェントの藤田晋を介して三木谷と会ったことが、楽天との縁になった。穂坂は回想する。
「僕はすっかり楽天と提携するつもりでいたんですよ。だから、初めて会ったときもずっと商談のつもりだった。ところが後日、僕に来てほしいというわけです。当時の楽天はまだ400人ほどの小さな会社でした。でも、面白そうだな、と思ったんですね」
三木谷にも好印象を持った。ダンディでスマート。言葉を選んで話していた。若くして会社を上場させていたが、態度が大きいわけでもなく、かといって妙に熱くなるわけでもない。タフさは、その姿からも想像ができた。インターネットマーケティングをやっていたこともあり、eコマースの大きな可能性にも気づいていた。
「ただ、入社してみてびっくりしたのは、ネクタイを締めて20年以上サラリーマンをやってきた人生とは、まったく違う光景が広がっていたことです。みんな若くて、カジュアルで、昨日は徹夜して会社で寝ていました、なんて人間がいて。自分の住んでいた環境とはずいぶん違うな、と」