「おもちゃ箱みたいな会社だな」
49歳といっても、若いつもりだった。前職時代には、まだまだ上の年齢の社員や役員がたくさんいたからだ。ところが楽天に来ると、まったくそうではなかった。
「ちょうど入社したのが12月で、手作りのクリスマスパーティをやっていましてね。これが楽しいわけですよ。改めて面白いな、と思いました。おもちゃ箱みたいな会社だな、と」
当時のオフィスは六本木ヒルズ。前職では部長職にあったが、中途採用の若い社員と一緒に研修をし、パソコンの申請も、名刺の手配も自分でした。
「穂坂さんには、ファイナンス、特にクレジットカードをぜひやってほしいんです」
これが三木谷からの要望だった。とにかくクレジットカード事業を進めようと決めていた。翌年、あおぞらカードの買収に携わる。これが後の楽天カードのベースとなる。一方で穂坂は提携カードに乗り出す。年会費無料とポイントの仕組みを入れ、他社から発行してもらった。
「オリックス時代に、インターネットの中でのカード獲得というのを実験していましたからね。これでカード会員は一気に数十万単位になっていったんです」
ただ、提携カードに限界があることも知っていた。いわばカード会社からシステムを借りて、発行するだけのもの。決済機能としてはいいが、手数料というビジネスとしての旨みはない。
三木谷が求めていたのも、大規模な自社発行カードだった。それはまさしく自分たちの財産になる。こうして2005年、買収したのが、メガバンクから紹介された国内信販という会社だった。
「九州にあって、そう大きくもないけど、小さくもない。そこそこの資産もある会社でしたが、楽天にとってはとても大きな買い物でした。だから、ちゃんと会社をチェックしたし、僕も見に行きました」
4カ月後、楽天KCと社名を変えた国内信販は、いわゆる総合信販会社だった。楽天が求めていたのは、クレジットカードのビジネス。そこで、必要のない事業は売却して資産を圧縮することにした。こうして2006年12月、オートローン事業が売却される。
これが、パンドラの箱を開ける、きっかけだった。