270種類、37兆個ともいわれる、人間の体を構成する細胞。細胞の核のなかには23対の染色体があり、DNA(デオキシリボ核酸)はその染色体のなかに収納されている。
膨大な量の遺伝情報が書き込まれたDNAの影響によって、私たちは、たとえば両親と顔が似ていたり、特定の病気にかかりやすくなったりする。DNAはいわば、生命の設計図ともいえるのだ。
1990年にアメリカで開始されたヒトゲノム計画。莫大な費用と時間をかけて、世界中の科学界を巻き込み、その熾烈な競争の結果、当初の計画より前倒しでゲノム解読が完了する。世紀の国際プロジェクトの舞台裏と、このプロジェクトが人間にもたらすであろう利益とは!?
*本記事は『新しいゲノムの教科書――DNAから探る最新・生命科学入門』を一部再編集の上、紹介しています。
ゲノム解析の国際プロジェクトとその舞台裏
ゲノムの全体像について語ることができるようになったのは、DNAの塩基配列決定技術の進歩とこれに基づく大規模な国際共同研究(ヒトゲノム計画、あるいはヒトゲノムプロジェクト)の成果によるところが大きい。
ヒト以外の様々な生物についても、大型国際プロジェクトが遂行され、(完全ではないものの)全ゲノム塩基配列が決定された。そこで、それらも含めて、その概要を紹介する。
ヒトゲノムはおよそ32億塩基対からなる長大なもので、この全塩基配列を決定するという計画は、それが構想された1980年代においては、技術的にも、必要な労力や予算の面でも、かなり挑戦的なものであった。
一方、元々古典的な分子生物学の研究は、数人の研究者が知恵を絞ってデザインした実験によって、独自の仮説を証明するのが典型的なスタイルであった(仮説駆動型研究)。
そのため、多数の研究者が協力する巨大プロジェクトで、(とりあえずはその内容についての検討は後回しで)まずは巨大なデータを生み出すというデータ駆動型研究スタイルに対する研究者コミュニティからの拒絶反応もみられた。
また、若い研究者はロボットのように使い捨てにされるのを恐れ、年配の研究者はこのプロジェクトに研究予算が吸い取られてしまうのを恐れた。

世界がヒトゲノム計画に舵を切った理由
さらに、細菌のゲノムとは違って、ヒトゲノムでは遺伝子と遺伝子の間の領域が長大で、本当に重要な情報が含まれているのは全体のごくわずかであるとされていたため、わざわざ全ゲノム塩基配列を決定するのは無駄が多すぎると考えられた。
実際、当時、EST(発現配列タグ)といって、いろいろな細胞から採取したmRNA群の配列断片を大量に塩基配列決定することで、効率的に遺伝子の部分情報を得る手法が一定の成功を収めており、この方法で得られた遺伝子の情報を特許化できるかどうかが大きな議論になっていた(結果的には特許にならなかった)。
しかし、議論の末、世界の科学界はヒトゲノム計画推進に舵をきった。その理由はいろいろあるだろうが、技術開発も含めた巨大プロジェクトの生命科学全体へのインパクトを狙ったということはあるだろう。

実は日本でも1980年代に和田昭允(わだ・あきよし)が中心になって、DNAの塩基配列決定技術を自動化するプロジェクトが行われ、当時の日本経済の勢いもあって、欧米の研究者に「このままでは日本に先を越されてしまう」という危機感を抱かせたと言われる。
ともあれ、計画の中心となった米国では、1990年から当初15年間の予定で計画がスタートした。日本でも同じ頃、これに呼応する形で関連研究が始まった。配列決定が本格化し始めた1996年に大西洋にあるバミューダで国際会議が開かれ、得られたデータは24時間以内にすべての研究者に無償で公開するという合意がなされた。