本連載では顕微鏡サイズの「ロボット」や「人工知能(AI)」の研究現場を取材しています。材料にタンパク質や核酸(DNAやRNA)、脂質など私たちの体にもある物質を使い、生物の優れた構造や機能を真似して、新しい技術を生みだそうとする試みです。それらは「分子ロボット」や「化学AI」とも呼ばれています。
今回からは「顕微鏡サイズ」を離れつつある分子ロボットを紹介しましょう。生命が細菌のような単細胞生物から、私たちのような多細胞生物へと複雑化し、大型化してきたように、分子ロボットも進化しつつあるのです。それらは思いもかけない未来をもたらすとともに、生命に対する認識を深めてくれるかもしれません。
体の中に1年前の原子はない
いつだったか、ある知り合いの生物学者から、こんなふうに言われたことがあります。「僕は4年前に君と交わした約束を守らなくてもいい。お金を借りていたとしても、返す必要はない」
ずいぶんな話です。理由を尋ねると「4年前の僕と、今の僕とでは、物質的に全く異なる。つまり別人なんだ」との答えでした。
私たちの体は、およそ37兆個の細胞からできています。1個1個の細胞は一定の時間が経つと老化して死に、体から排除されます。一方で新たな細胞が、分裂によって生まれてきます。つまり細胞は常に入れ替わっているのです。

これは「新陳代謝」あるいは単に「代謝」と呼ばれます。代謝は生命を維持していくための、最も基本的な機能と言っていいでしょう。代謝をしない、例えば石ころのようなものは、時間がたてば風化して崩れ、ただ消えていくだけです。
体の場所によって、細胞の入れ替わる時間は、まちまちです。最も短いのは腸管内部の上皮細胞で、数日すると全てが入れ替わります。皮膚は約4週間、血液は約4ヵ月です。最長は骨の細胞で、全骨格が入れ替わるのに約4年を要します。つまり人体の細胞は、4年前と今とではおおむね異なっているわけです。
ただ、ここには落とし穴があります。実は生涯、ほとんど入れ替わらない細胞もあるからです。それは神経細胞と心臓の心筋細胞です。脳は神経細胞の塊みたいなものですから、それが4年前と変わらないのなら「別人」とは主張できないでしょう。
ところが分子レベルでは、また話がちがってきます。1個1個の細胞もまた新陳代謝しており、細胞を構成するタンパク質などの分子が、常に入れ替わっているからです。分子を構成する原子も、同時に入れ替わっていると言えるでしょう。そして1年も経てば、もとの体にあった原子は全て消えてしまうとされています。
となれば1年前に交わした約束でさえ、反故にできるのかもしれません。そんなことが、あっていいものでしょうか?
DNAでレゴ遊びをする研究者
生物学者の主張が正しいかどうかを検討するのに、うってつけの「ロボット」があります。まだプロトタイプの段階ではありますが、なんとそれは新陳代謝をするのです。生物のように動いたり、考えたりするロボットはこれまでにもありました。しかし代謝するのは、おそらく世界初でしょう。
つくったのは東北大学 大学院 工学研究科ロボティクス専攻 特任講師の浜田省吾(はまだ・しょうご)さんです。大学での研究は「制御システム工学」から始めましたが、今では白衣を着て片手に試験管、片手にピペットを持っていたりします。
化学者のようでもあり、生物学者のようでもありますが、あえて専門はといえば「タンパク質や核酸、脂質のような生体分子でロボットをつくること」すなわち「分子ロボティクス」ということになるようです。

「小学生時代は、暇さえあればレゴブロックをいじってるような子供で、それが多分、今につながってくるんですよ」浜田さんは、そう振り返ります。「要するにパーツを組み合わせてものを作るってのが結構好きで、かなりハマっていましたね。ご飯も食べるのを忘れ、ずっとレゴをやってるみたいな、そんな感じの子供でした」
三つ子の魂ではありませんが、浜田さんは今でも「分子」でレゴ遊びをしているかのようです。とくによく使う「パーツ」はDNA(デオキシリボ核酸)です。
本連載の第1回と第2回では、二重らせんのDNAを「丸太」のように使って、特殊な顕微鏡でしか見えないナノサイズの構造物をつくる技術を紹介しました。紙で折るイメージとは少し異なりますが、この技術は「DNAオリガミ」と呼ばれています。
一方で浜田さんは、同じくDNAで「スライム」をつくっています。こちらは目で見ることができます。専門的には「DNAハイドロゲル」と呼ばれています。
何やら難しそうですが「ハイドロゲル」は、日常よく目にしています。ゼリーや寒天、豆腐、コンニャクなどは、皆ハイドロゲルです。ソフトコンタクトレンズや紙おむつに入っている「高吸水性ポリマー」もそうです。生物の体も、一種のハイドロゲルと言えるようです。
これらに共通するのは多くの水を含んでいて、プルプルと弾力性があることですね。ミクロの目で見れば「高分子」と呼ばれる紐状の物質が立体的な網目構造をしており、その中に水を保持していることがわかります。高分子の例としては、タンパク質や多糖類(セルロースやデンプンなど)が挙げられます。

DNAもまた紐状の高分子です。なので、それが網目構造をとるようにしてやれば、やはりハイドロゲルになります。ただゼリーや寒天をつくるように、簡単にはいきません。浜田さんを含む国内外の研究者が試行錯誤を重ねて、最近、つくれるようになりました。医療を含む様々な分野に使えそうですが、浜田さんは自分のつくりたいロボットの材料にうってつけだと考えています。