常に最善手を求める地力勝負
羽生さんに逆転勝ちが多かった理由の1つは、20代前半、タイトル戦という大きな勝負の場でも、あえてさまざまな戦術を試していたところにある。
例えば、不利と言われている序盤作戦での常識を疑い、どれくらい不利なのかを自ら実戦で体験してみる。そして、そのマイナス程度が十分に理解できれば、次はもう指さなかった。そうした試みについて羽生さんは、「大事な対局で試みなければ意味がない」とも語っている。

棋士仲間や将棋ファンが注目するタイトル戦のような重要な対局で、最も強い相手の、最も得意とする戦型で試みてこそ「将棋の真実」を手中にすることができるというのである。
これまで羽生さんと数多く戦った私は、よくその“実験台”にされた。私ならしっかり咎めにきてくれるはず、と見込まれていたのだろう。
損を承知で試みる序盤作戦だと形勢が苦しくなることも多く、そこから逆転する必要が生じる。それだけ逆転勝ちが多くなる。当時は将棋がそれだけ自由だった、余裕があった、とも言える。
時代の違いもあるが、藤井さんは、そういう戦い方はしない。特定の得意戦法やこだわりを持たず、AIも研究に取り入れながら常に最善手を追い求めていく。
勝つことだけを目的とするならば、必ずしも最善手にこだわらず、自分の得意戦法に誘導することも考えられる。しかし、藤井さんは相手の研究不足や苦手な形に頼ることをせず、常に地力勝負に持ち込んでいる。
相手の得意戦法を避けたりせずに正々堂々と戦う。相手によって作戦を変えたりはしない。だからいまも対戦相手の研究に重点を置かない。盤上の真理を求めて、いま自分が興味を持ち、常にベストと思う指し手を選ぶ――。
そうした正攻法は、藤井さんが棋士になってから一貫して変わらない勝負への臨み方である。
もちろん、そうした勝ち方が将棋の王道であり、理想ではある。
しかし、ほとんどの棋士はそれができない。すべての戦法を研究し、その戦法特有の考え方と感覚を理解し、どんな戦法でも高いレベルの将棋を常に指せる棋士は一握りしかいないのだ。
得意な戦法では平均して90点の将棋が指せたとしても、苦手な戦法や経験のない形だと普通は70点くらいになってしまう。
若手の棋士でこれから活躍したい、大きな舞台を経験したい、対局の数を増やしたい、と思えば「まず自分の得意な戦法で」と考えるのは、ある意味自然だろう。勝負はやはり勝たなければいけないし、勝てば次の対局でまた強くなれることも現実としてあるからだ。
ほとんどの棋士にとって、王道を往く将棋は常に理想として勝負のはるか彼方にある。