2023.01.23

【金平茂紀・連続ルポ】ソ連の亡霊どもが彷徨っているロシアに、観光客として行ってきたら…金平茂紀のモスクワ日記(1)

ジャーナリスト・金平茂紀氏が、一介の観光客として目にしたモスクワの光景とはいかなるものだったか。3回連続で「モスクワ日記」をお届けしよう。

戦争をやっている国の首都で

■2022年12月29日(木)

今夜、ロシアのモスクワへと旅立つ。観光をしてくる。戦争をやっている国の首都で、人々は一体どんな暮らしをしているのか。年末年始の区切りの時期に、それを是非とも自分のこの眼で見てみたいと思ったのだ。僕が住んでいる横浜のお天気は快晴。今日はそんなに寒くない。きのうから徐々に旅行のパッキング作業をすすめてきたが、モスクワはどんなお天気なのか。寒いのだろうな。

僕は1991年の3月から1994年の7月までのあしかけ4年、モスクワで暮らしていた。TBSのモスクワ支局の特派員として濃密な時間を過ごしてきた経験がある。濃密という意味は、何しろその時期にこの地球上からソビエト連邦という国家が消滅するという歴史の教科書に太字で書かれている大きな出来事があったのだ。にわか仕込みのロシア語で、あの激動の時期にソ連の首都モスクワに赴任した時の不安は大変なものだった。

その一方で、未知の国への押さえがたい好奇心のようなものもあった。ロシア人って、どんな人々だろう。ロシア料理はどんな味がするのだろう。どんなところに住むことになるのだろう。もう30年以上前のことだ。

当時のTBS報道局外信部は、奇人・変人のオンパレードのような素敵な職場で、何でもあり。「宇宙プロジェクト」というとんでもない壮大な計画をソ連当局とのあいだで契約を交わして、日本で最初の宇宙飛行士としてTBS外信部デスクの秋山豊寛さんをバイコヌール宇宙基地から飛ばすという偉業を達成してしまっていた。

僕をモスクワに特派員として送りこんだ黒田宏さん(故人)という外信部デスクは、東大でジャズをやっていた人で、夜はいつも酔っぱらっていた。ジョン・コルトレーンが来日した際に、TBSラジオのスタジオで、コルトレーンらにLIVE演奏させたつわものである。その黒田さんから、米原万里さん(故人)を紹介され、彼女の紹介で代々木にあったロシア語教室に毎朝会社に行く前に通う羽目になった。でもまさかその時は、この地上からソ連がなくなるなどとは想像さえしていなかった。

あれから30年以上の歳月が流れた。ソ連は消滅したが、そのソ連の一員だったウクライナにロシアがいま侵攻して戦争をしている。

羽田空港第3ターミナルは、年末年始を海外ですごそうという人々でごったがえしていた。トルコ航空のイスタンブール経由でモスクワに飛ぶ。早めに家を出てよかった。定額料金で羽田まで送ってくれたタクシーの運転手さんは親切なお年寄りの男性だった。「くれぐれもお気をつけてくださいね」。かなり重たくなったスーツケースをトランクから降ろしながら彼は言ってくれた。空港カウンターは出発時刻の3時間以上前なのに、すでにチェックイン受付が行われていて、ものすごい数の人々の行列ができていた。

 

ようやく僕の番になってチェックインしようとしたら予期せぬ出来事が起きた。「ロシアに行かれるので、税関による開扉(かいひ)検査があります。別室に行っていただくことになります」。その若い女性職員に告げられると、すぐに税関職員(若い男女2人組)がやって来た。スーツケースを男性職員が運ぶ。

そこから歩いて3分ほどのところにある税関事務所に移動させられ、別室で質問を受けた。何のためにロシアへと行くのか。所持している現金の総額をすべて申告していただきたい。僕は万一に備えて多めにキャッシュは持ってきた。何しろ今、モスクワでは西側のクレジットカード(ビザ、マスター、ダイナーズ、アメリカン・エクスプレス、JCBなど)が一切使えないのだから。

男性職員は調査用紙に署名をするよう求めて別室へと消えた。そして戻ってきて、ちょっと額が多すぎるので、滞在日数を増やしてもらえないかとおかしなことを言う。僕は旅行社の説明で、現金の持ち込み限度額を確かめてその半分にも満たないキャッシュを用意してきたのだ。そのことを説明すると、男性職員は再び別室に消えて、すぐに戻ってきて「一日あたりの限度額が10万円なので、全然このままでいいです」という。

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