2023.01.24

《金平茂紀が行く》ウクライナ戦争の渦中のモスクワの衝撃の光景 赤の広場とプルシェンコ…金平茂紀のモスクワ日記(2)

ジャーナリスト・金平茂紀氏が、一介の観光客として目にした年末年始のモスクワの光景とはいかなるものだったか。第1回に引き続き、3回連続の「モスクワ日記」をお届けしよう。

【第1回を読む】ソ連の亡霊どもが彷徨っているロシアに、観光客として行ってきたら…金平茂紀のモスクワ日記(1)

ロシアの人々の「初詣」

■2023年1月1日(日)

外をみると雪ではなく雨が降っているようなのだ。気温も3℃。これはかなりあったかい。午前7時に勇んで朝食会場に行くと、今日は元旦なので朝8時開店だと言われる。テレビをつけるが、この部屋のテレビが壊れていて、肝心のチャンネル1(ロシア公共放送第1チャンネル)が映らないのだった。ネットで日本のテレビ朝日のニュースサイトを見て、プーチン大統領がきのうテレビに登場してロシア国民向けのメッセージを放映したことを知る。ほんまかいな。誰もそんなものを見ているとは思えなかった。軍人たちに囲まれての演出だったらしい。

タクシーを頼んで、午前11時すぎに赤の広場に行くと、そこそこの人がすでに訪れているではないか。タクシードライバーはタジキスタン人だった。日本からのツーリストだと言うと、たいそう驚いて「トヨタのカムリは最高の車だ」とか話してきた。この国ではいまだに日本の代表的なイメージは、トヨタ、ソニー、カシオ、パナソニックなのだ。

旧ウクライナホテルに行ってみる。このスターリン建築の代表格は、かつて目にしない日々がなかった。このすぐ近くに僕は住んでいて、かつTBSモスクワ支局もこのすぐそばにある。数々の思い出が刷り込まれた建物だ。ホテルを見ていてもほとんど人の出入りが確認できなかった。

モスクワ川を挟んだ対岸にはロシア最高会議ビルがある。通称ベールイドーム(ホワイトハウス)。ここに1993年、エリツィン大統領(当時)が戦車から砲弾を撃ち込ませた。建物の上半分が焼け焦げて無惨な姿をさらしたものだった。今のロシア最高会議ビルは、プーチン大統領の御用機関のような機能しか果たしていない。

そんな場所を訪れていたら、美しい女性が一人で観光をしていた。「新年おめでとう」と声をかけると、彼女はウラジオストクからやって来たツーリストだという。大の日本ファンで、YouTubeでしょっちゅう日本のことを検索しているという。モスクワは大きすぎるとか言っていた。

キエフ駅も綺麗になっていた

キエフ駅もずいぶん様変わりしていた。昔僕がモスクワに暮らしていた頃は、この駅にホームレスの人々や少年らがたむろしていたものだ。近くの大型ショッピングモールにユニクロのサインがみえた。

ユニクロは休業中だった

その後アルバート通りに立ち寄ると、ここにもロシア人の団体旅行客の一団がいた。昔のアルバート通りとはだいぶ変化しているように思ったが、今日は元日なので、明日以降に人々の動きをみてみなければわからない。

マクドナルドが撤退したあとに、そのノウハウを全部引きついで、後継店がちゃっかりオープンしていた。名前も「フクースナ・イ・トーチカ」(おいしい、絶対に、の意味)。ビックマックに限りなく近い「ビック・スペシャル」というのを注文したら335ルーブルした。大体600円くらいか。店員もマクドナルド並みの愛想というか。店内もテイクアウトの列にも結構お客がいた。フライドポテトはマック時代より絶対においしくなった、と言い張るロシア人が多いという。

一番人気のハンバーガー「ビッグ・スペシャル」

今度はワシリー大聖堂側から赤の広場に入ってみて驚いた。逆側からよりもずっと人出が多い。ものすごい数の人出だ。そこで確信した。これは実際にロシアの人々にとっては初詣なのだと。日本の神社やお寺の代わりに、ここでは圧倒的にロシア正教の教会と旧ソ連の名所がその役割を果たしている。

 

広場にはメリーゴーラウンドも敷設されている。子どもたちが歓声を上げていて、親たちが嬉しそうにそれをカメラで撮影している。頭がくらくらするような遊園地状態。これが戦争をしている国か。

元日の赤の広場には大勢の人が繰り出す

その光景をしばらく眺めていて、僕はとても強い自己嫌悪に陥りながら、考えてしまったのだ。この国の人々は、本当は民主主義なんか求めていないのではないか。独裁的な全体主義体制の方が、自分たちの威厳とか誇りとかプライドを維持してくれているのなら、それでいいじゃないか、と。帝政ロシア→ソ連→ロシア共和国という変遷を経ながらも、そこに住む大多数の国民とはそういう人々なのではないかと。

いま現在のウクライナの方は、いきなり侵略されたことから、ナショナリズムに火がついて、人々は、祖国とか自由とか言っているけれども、僕はそれが「民主主義への希求」というものかどうか本当のところは、わからない。

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