東大に93人、京大に33人、旧帝大に70人……安倍晋三の意を受け、葛西敬之が創設した「全寮制スパルタ校」の卒業生たちの進学先
「葛西敬之?そんなたいして有名でもない企業経営者が、日本を牛耳ってたなんて、そんなわけないだろう」
本書を読む前は、多くの人がそう思うようだ。森功著『国商 最後のフィクサー葛西敬之』では、一企業経営者にすぎない葛西氏が、官邸の人事を牛耳り、霞が関と内通して政策に口を出し、はてはNHKの会長選びに介入してマスコミを支配する姿までが描かれる。 『国商 最後のフィクサー葛西敬之』連載第12回(3)
第一次政権で「教育改革」を安倍にやらせた
「桃李(とうり)もの言わざれども、下自(したおの)ずから蹊(みち)を成す」
司馬遷の「史記」を好んで読んだ葛西敬之は、第一次安倍晋三政権の「教育再生会議」でしばしば漢の李広将軍列伝の一節を引き、教育問題に関する持論を展開した。
桃やすももの樹は意図して自らの魅力を触れまわるわけではないが、木の下には自然と人が集まり、雑草が踏まれて小道ができる――。優れた教師を学校に登用して環境が整えば、意欲のある生徒が集まり質の高い教育を実現できる、と葛西は唱える。
安倍晋三もまた、ことあるごとにゆとり教育で学力が落ちたと嘆き、教育改革に力を入れた。第一次政権発足から14日後の06年10月10日、その名も「教育再生会議」を内閣に設置し、教育の立て直しを訴えた。その会議の中核メンバーの一人として招聘されたのが、JR東海の代表取締役会長だった葛西である。
教育再生で通じ合ってきた二人は、ともに教育が国の行く末を決める、と政策の重要課題に据えた。葛西は教育再生会議に臨み、あくまで安倍の顔を立て首相の代弁をするかのように第1回会合でこう口火を切った。
「総理からご指示がございました。学校教育のレベルを上げ、効率を上げてその他のことに取り組める時間をつくってあげる。それが大切であります。私どもが海陽学園を設立したのも、そこがねらいであります」