今も多くの人の心を揺さぶる伝説のロックシンガー尾崎豊さん。先日放送されたテレビ番組でも『2022年 カラオケで最も歌われた昭和の名曲』の第1位に尾崎豊さんの『I LOVE YOU』が選ばれました。亡くなってから30年、妻の繁美さんが長く封印してきた尾崎豊さんへの想いを語る連載です。
前回の9回目では、繁美さんが20歳、豊さんが22歳の1988年5月12日に入籍し、豊さんの実家での新婚生活と新婚旅行、初のテレビ生出演、そして伝説の東京ドームコンサートまでの想い出をご紹介しました。
朝は豊さんが弾くピアノで目覚め、ギターの音色とともに眠りにつくという、陽だまりに包まれるような優しい時間が流れる新婚生活……。しかし、やがて豊さんは不安と孤独を繁美さんにぶつけるようになります。その要求は繁美さんが受け止めれば受け止めるほど、激しくなり、やがて24時間束縛されることも……。それでも、繁美さんは豊さんを見守り、受け止め続け、豊さんは5万人の観客の前で復活ともいえる東京ドームコンサートを成功させます。
ところがコンサートが終わると、繁美さんは膀胱から大量出血。それを目撃した豊さんに連れられて入院。「片時も離れたくない」と言って病院にギターを持って泊まり込んでしまい、看護師さんから笑われたことも……。
当時まだ20歳だった繁美さんは、「10代の代弁者」「若者のカリスマ」と言われた尾崎豊と、繊細で傷つきやすい魂を持つ素の尾崎豊……その心の告白、魂の叫びを受け止めることに、すべてを捧げていたのです。
連載10回目の今回は、結婚2年目に、息子の裕哉さんを授かるまでのエピソードを前後編で紹介します。
以下、尾崎繁美さんのお話です。
豊の闇も光も丸ごと受け入れた
豊が私に対して求めてきたことは、やきもちや束縛などという生易しいものではなくなっていきました。ただ豊がなぜそうするのかも何となくはわかっていましたし、何よりも私はそういった闇の部分と光り輝く部分の両方を丸ごと受け入れていました。
唯一無二の存在感で強烈な光を放つステージ上の姿、
常にメモを持ち歩き、言葉のかけらを書き留める真剣な横顔、
私が作った餃子を食べ「死ぬほどおいしい」と子どものように笑う無邪気さ、
落ち込んでも、弱さを見せられても、怒った顔も……すべて。
豊はそんな私の全身全霊な想いを知っていたからこそ、不安を私にぶつけ、さまざまな要求をしたのかもしれません。
