外務省に勤務中にアフリカに駐在、その際に立ち上げたNGO活動を継続するために転職し、10年アフリカの人々に寄り添ってきた原ゆかりさん。アフリカにいたからこそ見えた日本や先進国の実態もある。その一つが「寄付」に対する問題だ。
寄付はとても大切なもので、日本でも2020年には2011年以降初めて寄付総額が1兆円を超えた。しかし、時にその寄付が活かされていなかったり、問題につながることもありうる。
その実態をお伝えする前編では、まったく使われずにいた図書館を利用して活かす活動をしたことを綴っていただいた。後編では、「寄付をする側」の寄付に伴う責任について具体的な問題点と共にお届けする。

「俺のコメはいつ来るんだろう」
アフリカのある国の政府関係者と日本からの物資支援について話をしていたとき、ふとその方が、「俺のコメはいつ来るんだろう」と漏らしました。「俺のコメ」という表現に違和感を抱きながらどういう意味なのかを聞くと、言葉を濁されました。
打ち合わせを終えた直後、空港で保安検査を通過しようとすると、「USD○○でいいよ、ここを通りたければ支払って」と空港の職員に手を差し出されました。もちろん支払いませんでしたが、こんなやりとりは日常茶飯事でした。
その国は、雑誌の特集でも世界汚職大国ランキングで上位にランクインする国でした。ですが、人々の話を聞いていると、それって本当に彼らだけを責められるような話なんだろうか、と思わざるを得ませんでした。
最貧国と名高いその国に対しては、長年の間、世界各国から多額の「寄付」が流れ込んでいました。鉱物資源をめぐる紛争、貧困、感染症…支援のニーズには事欠きませんでした。必要とする人々に届いた支援もたくさんあったと思います。ですが時に大量に流入した資金は、その使途の開示が求められることもなく、あげっぱなし・貰いっぱなしとなることも少なくはなかったようです。
寄付する際に、その寄付金が何に対してどのように使われる予定なのか、実際に計画された通りに使われたのか……、もしそこまで説明が求められていれば、フォローアップされていれば、受け取る側の気持ちや行動も違ったのではないか、そう考えずにはいられません。寄付した側がそれを求めていれば、寄付を受ける側のその後に想いを致せていれば、何か違ったのではないかと思うのです。
