「ポジティブに考えればいいよ」などとよく言うけれど、ポジティブ=善でネガティブ=悪なのだろうか。
脳科学者・中野信子さんの著書『脳の闇』は、ハラスメント、承認欲求、プレッシャー、正義、ジェンダーなど、様々な切り口から「脳の暗部」を浮かび上がらせる一冊だ。
脳によって私たちは行動を起こす。脳の動きを理解すれば、マイナスの行動も、もしかしたら変えることができるかもしれない。
本書より特別抜粋掲載でお届けする第1回は、第5章「ネガティブとポジティブのあいだ」から「ポジティブの暗部」を伝える。
前編「脳科学者・中野信子が再会を願う人…「25年前、手を伸ばすことができていたら」」では、中野さんが「もう一度会いたい」と考える、自ら天国に旅立つ決断をしてしまった友人についてお送りした。
後編では、「ネガティブな抑うつ的反復」がもたらす意義の研究など、さらにポジティブとネガティブの比較を深堀り。なんでもポジティブに考えればいいわけではないという理由が見えてくる。

本当に溺れている人は溺れているように見えない
本当に溺れている人は溺れているようには見えない。溺れる人は、静かに沈んでいく。これは比喩ではなくて、本当にそうなのだ。
ボートから落ちた誰かが、水面にいて、ボートをじっと見上げているとしよう。一見、何の問題もないように見えるかもしれない。このとき、大丈夫? と一声かけて、大丈夫、と返事が返ってくれば、状況は特に深刻ではない。けれど、何も返事が返ってこなかったら、この人を即座に助けなければならない。生理学的に、溺れている人にとって、声を上げて助けを求めることは不可能だからだ。
呼吸器系の第一の目的は呼吸すること。息を吸うのがやっとの状況では、声を出すことは二の次になり、助けを呼ぶことはできないのだ。口は水面を上下して、水面の上へ出ている瞬間は呼吸をするのが精一杯で、声を上げられる余裕などない。また沈む前に急いで息を吸い込むくらいしかできない。
そして、溺れている人は頭を水面の上になんとか押し上げようとして、水面を下に押し下げるために腕を横に伸ばしてしまう。だから、手を振って助けを求めることもできない。こうした本能的な反応の最中に、腕の動きでサインを送るなどという冷静な行動は、とてもではないが取れないのだ。
溺れている人の本能的な反応は静かなもので、誰もが気づかないうちに、一人でいつの間にか沈んでいく。答えが返ってこなかったときに、命綱を投げてやることができれば、その人は助かったかもしれない。手の届かないところへ行ってしまった後で、こんなことをいくら嘆いても、仕方のないことではあるのだけれど。