2023.02.03
日本人、じつは「他人を“信頼”する」のが、ほかの国の人に比べてめっぽう苦手だった…!
「日本人は集団主義だ」「日本の会社は個人主義的でなく、お互いに助け合う雰囲気がある」
こうしたイメージを持っている人は少なくないかもしれません。
小泉八雲の筆名で知られる作家、ラフカディオ・ハーンも、明治時代の日本社会を見て、この国の人々には「相手をすぐに思いやる察しのよさ」があるという言葉を書き残しています。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
日本人は「人を信頼する」ことをどう考えているのか、オランダのフローニンゲン大学の助教授である田中世紀さんの著書『やさしくない国ニッポンの政治経済学 日本人は困っている人を助けないのか』を抜粋、編集してお送りします。
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●第一回「日本人、じつはほかの国の人に比べて「困ってる他人を助ける」のがめちゃくちゃ苦手だった…!」
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幻想としての「思いやりの国ニッポン」
ラフカディオ・ハーンの言うように明治期の日本が思いやりに溢れていて、他人の幸福が自分の幸福につながると考えている社会だったのだとしたら、どうして今日の日本は「思いやりのない」社会になってしまったのだろうか。
考えられる一つの仮説は、実はハーンの見ていた「思いやりの国ニッポン」は幻想だった、というものだろう。何らかの要因のせいで明治期の日本人は他人を思いやる「ふり」をしていたのであり、今の日本人と本質的には変わりはない、という主張である。荒唐無稽な仮説のように聞こえるかもしれないが、これにはそれなりのロジックと経験的証拠がある。