2023.02.02
戦下の日本で出版された「反戦的な作品を含む漢詩集」、そこに込められた思いを探る!
太平洋戦争のさなか、日本の中国学の創始者の一人・鈴木虎雄は、江戸時代に生まれた伝説の学問所・懐徳堂で連続講義をした。
その講義は、厭戦・反戦の傾向のある漢詩を扱いつつも、検閲を通り抜け、書籍として刊行された。それはどのような本か。
このたび学術文庫に収録された『中国戦乱詩』から、川合康三氏による「まえがき」を一部編集したうえで紹介する。
その講義は、厭戦・反戦の傾向のある漢詩を扱いつつも、検閲を通り抜け、書籍として刊行された。それはどのような本か。
このたび学術文庫に収録された『中国戦乱詩』から、川合康三氏による「まえがき」を一部編集したうえで紹介する。
戦時中に、伝説の学問所で生まれた名講義
中国の詩のアンソロジーは数多いが、戦争をテーマとして一書を編んだ例は、本書のほかに知らない。このような本が生まれたのは、もちろんその時代と関わりがある。
もとになったのは昭和十四年(一九三九)、大阪・懐徳堂で行われた連続講義というが、それはまさしく第二次世界大戦勃発の年に当たる。日本と中国の戦争も、昭和六年(一九三一)の柳条湖事件、昭和十二年(一九三七)の盧溝橋事件と、しだいに拡大していった時期にあたる。
そして講義が『禹域(ういき)戦乱詩解』と題する一冊の本として刊行されたのは、なんと昭和二十年(一九四五)二月、終戦の六ヵ月前なのだ。ただし、刷り上がった本はたちまち戦火に見舞われて多くが焼失したとのことである。
どんな詩を収録したか
いくさの詩を選ぶとなれば、材料となる詩篇はいくらでもある。もともと中国の詩は実際の生活や事柄に基づいて書かれることが多いから、現実のなかでもとりわけ大きな出来事であるいくさは当然、詩材となる。