ソーシャルワーカーとして働きながら、メディアとスポンサーと視聴者が新しい関係性を構築し、気候変動を解決に導くための団体〈Media is Hope〉の発起人である名取由佳さん。アクティビストとしての活動と併せて、国立環境研究所が組織する〈社会対話・協働推進室〉のコミュニケーターとしても活動する宮﨑紗矢香さん。そして、大学で水産学を学びながら気候変動・生物多様性のアクティビストとして発信を続ける中村涼夏さん。
若き3人の活動家たちは今の現状をどう考えているのでしょうか。三者三様の立場から捉える、日本のこと、そして未来へ向けた対話をお届けします。
深刻な問題があるからこそ
手を取り合い、尽力することが、すごく尊い
さまざまなバックボーンを持ちながら気候危機の問題と向き合う活動家たち。彼女らの対話から見えてくる、気候危機を内包する社会全体の課題とは? まずは互いの活動報告から対話をスタート。

宮﨑 私は現在、国立環境研究所に所属して、コミュニケーターの仕事をしています。コミュニケーター自体あまり知られていない仕事だと思いますが、研究者が研究している気候変動や生物多様性の問題を市民にわかりやすく伝えることが主な役割です。私自身はまだ始めて半年くらいですが、日本で活動しているアクティビストを集めて、若者が社会に期待していることは何か?という意見を交わす会合を開催したり、小学生に対して地球温暖化についてわかりやすく伝える出前授業をやったり。広く、科学や気候変動を社会に伝えていくという活動をしています。

中村 現在、鹿児島大学の3年生で水産学を学んでいます。私が活動家に至る原点は、幼い頃に過ごした種子島での経験が大きいと思います。親の仕事の関係で、種子島と名古屋を行ったり来たりする転勤族だったんです。種子島に住んでいた頃は毎日のように海に行っていましたが、名古屋で暮らすようになり、海にはあまり行かなくなっていたんです。たまに海のそばの水族館に遊びに行くと、目の前の海が真っ黒で、鼻をつくような臭いがしたり。同じ海なのにどうしてこんなに違うんだろうって。ここまで人間が変えてしまうんだということを幼いながらすごく感じていて、漠然と生物に関わる仕事がしたいと思うようになりました。
その後、スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんの言葉に感銘を受け、〈Fridays For Future Nagoya〉(グレタさんの活動から広まった気候変動に関する世界的な若者ムーブメント。通称FFF)が立ち上がるのをきっかけに、活動に参加するようになりました。そこで高校3年生の頃に宮﨑さんと初めて会ったんですよね。

宮﨑 そうでしたね。私は大学4年のときにスウェーデンへのSDGs視察ツアーに参加した経験があって、その時に見聞きした現地のサステナブルな取り組みに刺激を受けて、SDGsを推進する企業に就職しました。けれどそこで、日本の現状みたいなものに直面して、現実と理想のギャップに気付かされた経験があります。その頃に私もグレタさんのスピーチに感銘を受けてFFFの活動に参加し、現在に至ります。
名取 私は2人より少し世代が上ですが、大きなきっかけとしてはやはりグレタが出てきたタイミングです。もちろん地球温暖化や気候変動は肌で感じていましたが、当時は企業に勤めていて、日本の社会で普通に生きていると、なかなか気候変動の本当の実態を知る機会がなかった。そんなとき、グレタの発言はすごく核心をついているなと。だから大人は耳が痛い。これまで蓋をしてしまっていた箱を開けられた感じ。彼女は当時16歳だったけど、彼女を見て、自分はすごく大人だということに気付かされ、若い世代でもさまざまな活動をしている人がいることも知りました。大人として若者たちの絶望になりたくない。けれど自分もその原因を作っている一人だと強く感じて、自分ができることをやらなければと思い、活動を始めました。