李白の「春(はる)の夜(よ)に桃李(とうり)の園(その)に宴(うたげ)するの序(じょ)」という文章の、これも最初の一節ですが、
それ天地(てんち)は万物(ばんぶつ)の逆旅(げきりょ)にして、光陰(こういん)は百代の過客(かきゃく)なり
――そもそも天地とは万物を迎え入れ送り出す旅館のようなもの、そして月日、時間はそこをおとずれては去って行く永遠の旅人である。
――そもそも天地とは万物を迎え入れ送り出す旅館のようなもの、そして月日、時間はそこをおとずれては去って行く永遠の旅人である。
「光陰」は「光陰矢の如し」というときのそれ、芭蕉は前半を省略し、「光陰」を「月日」とおきかえております。
芭蕉と李白の資質の違い
もっとも芭蕉のほうは「行かふ年もまた旅人なり」に続けて、
船の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老(おい)をむかふる物は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて漂泊の思ひやまず……
という風に、ひたすらに旅を運命的なものと受けとめる心情の告白になって行くのですが、李白の文章は「光陰は百代の過客なり」のあと、
浮生(ふせい)は夢(ゆめ)の如(ごと)し、歓(よろこ)びを為(な)すこと幾何(いくばく)ぞ。
――夢のような人生、よろこび楽しむことがどれだけあるだろう。
――夢のような人生、よろこび楽しむことがどれだけあるだろう。
と続け、そうしたはかない人生なればこそ、この一夜をおおいに楽しもうではないか、という風に展開します。このあたりにも李白と芭蕉の、詩人としての資質の相違がかなりはっきりと示されているように思います。