日本人が知らない、「本当は必要のない仕事」が多すぎる歴史的理由

「働きすぎ」はなぜ生まれるのか?

高収入で社会的承認を得ている人々の仕事が、実は穴を掘っては埋めるような無意味な仕事だった……? 彼らは自分が意味のない仕事をやっていることに気づき、苦しんでいるが、社会ではムダで無意味な仕事が増殖している——。

人類学者のデヴィッド・グレーバーが『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』で論じた「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」は、日本でも大きな反響を呼びました。

「ブルシット・ジョブ」とは何か? どのように「発見」されたのか? 『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』著者の酒井隆史さんが紹介します。

「働きすぎ」はなぜ生まれる?

グレーバーのテキストのなかに「不要な仕事」という問題設定は、かれの知的キャリアのその初期からすでにあらわれていました。現代世界は「不要な仕事」によって危険なくらい肥大化し、それによって人々は働きすぎで押しつぶされている、といった問題設定です。

これからみていくように、資本主義市場がムダな仕事をつくるわけがないという信憑や、あるいは仕事はたくさんあるにこしたことはないという発想は、政治的立場を問わずおおよそ自明の前提です(「雇用創出イデオロギー」につながっていく考えです)から、こうした発想自体、いくぶんかはユニークです。おそらくここには、エコロジーやフェミニズム、アナキズムなどの影響があるようにおもいます。

そのような初発の問題設定は、ある程度まとまったかたちでは、著作『アナーキスト人類学のための断章』であらわれます。グレーバーはそこで、まず1920年代に勢いのあったアメリカの労働運動IWW(世界産業労働者組合。ウォブリーズとも呼ばれます)が、もともと1920年代に推進しようとした、一日4時間、週4日労働の要求をあげて、これは実現可能なのではないか、というふうに問いを立てています。