「胃袋には膝から下の少年の左足が…」14歳の少年を惨殺したヒグマを日本刀で成敗したハンター…三毛別事件の20日前に発生した凄惨な人喰い熊事件の全貌

歴史に埋もれた北海道のヒグマによる凶殺事件を掘り起こした話題騒然の書『神々の復讐』の著者・中山茂大氏が、かの三毛別事件直前に起きた惨劇をリポートする。

兄が聞いた弟の体が「ボキーン」と折れる音

7名(一説に8名)が犠牲となった、日本史上最悪の獣害事件「苫前三毛別事件」。大正4年12月9日に発生し、14日に射殺されるまで女子供ばかりを喰い殺し、妊婦の腹を引き裂くなど、その凶暴さゆえに、いまだに語り継がれる事件である。

しかしこの大惨事の、わずか20日前に、三毛別から60キロ南の浜益村山中で、一少年が巨大なヒグマに襲われ、頭部、左足などわずかな部位を残して完全に喰い尽くされるという陰惨な事件が起きていたことは、ほとんど知られていない。

事件の経過を、当時の新聞記事、地元伝承などから追ってみよう。

大正四年十一月十九日、浜益郡浜益村実田村の吉本六蔵(14)は、実兄の栄造とともに馬を引き、瀧川山道に薪拾いに行った。午後1時ころ、山中から巨大なヒグマが出現し、荷馬車に向かって突進してきたので、馬は狂奔して逃げ去ってしまった。ヒグマは逃げようとする六蔵に襲いかかった。

この時の様子を、『はまますむかしばなし』(こだま会)は次のように語っている。

「雪が降り始めたころ、清水峠へ馬そりで薪を取りに出かけた兄弟がいた。すると突然、熊が現れて馬に飛びかかってきた。驚いた馬は弟のほうを振り落として逃げてしまった。獲物を逃がした熊は弟に襲いかかった。弟は『あんちゃ、あんちゃ』と叫んだが、兄にはどうすることもできなかった。熊は弟の体を二つに折り、『ボキーン』という音がした。それきり弟は声をあげることもできず、熊は弟を担いで藪に隠れてしまった」

  • 『成熟とともに限りある時を生きる』ドミニック・ローホー
  • 『世界で最初に飢えるのは日本』鈴木宣弘
  • 『志望校選びの参考書』矢野耕平
  • 『魚は数をかぞえられるか』バターワース
  • 『神々の復讐』中山茂大