江戸時代の人々は死ぬのが怖くなかった? 彼らは明日の生死がわからない時代をどう生きたか? 「2023年の時代小説の大本命」との呼び声高い『侠』(きゃん)を上梓した松下隆一さんによるエッセイを特別掲載。江戸時代の下層庶民から学ぶ「後悔なく死にゆくヒント」とは――。
江戸時代の人々は死ぬのが怖くなかった?
江戸の庶民にとって、死は日常であった。死産や病死は珍しくもなく、天然痘のような疫病ともなれば、ひとたまりもなくコロコロと人が死んでいった。現代人のように優秀な医師がいて、高度な医療設備が整い、優れた薬があるわけでもないから、それは当然といえば当然だろう。
武家や大店であれば、医師や薬によって救われる命もあっただろうが、徳川慶喜などは二十七人もの子を成しながら、成人したのは家定ひとりであったという。将軍家ですらそんな状態だったのだから、貧乏長屋(裏店)に住まう庶民にしてみれば、死は致し方のない、当たり前のことであったかと思う。
だが、その副産物として、江戸の人は死ぬことそのものに現代人ほど恐怖を覚えなかったのではないか。今のように医療技術が進むと、人はかえって生に執着する。ガンになっても先進医療によって救われることに希望を抱く。だがそれは同時に、死への恐怖を物語っている。
ところが江戸の庶民にとっては、死を受け入れるしか手立てがない。お産や病気となれば、せいぜい神社に参って祈願するくらいだったろう。ましてや名や財を継ぐ使命のある武家や大店ではないのだから、遺書や遺言などの終活といった洒落たこともしない。「みんな達者で暮らせよな」みたいなことを言って終わったに違いない。貧困層の庶民にとっては、日々を生きることに意味があるのであって、「死」そのものにはそれほどとらわれなかったのではないか。
江戸の庶民は夜明け前には起きて、日のあるうちに労働し、日が沈む頃には家に帰る。昨日も明日もない、今日という日、いや、今があるだけの、まさしくその日暮らしであったにちがいない。そうやっていつしか齢をとって生を終える。
明日あるのかもわからぬ命なんぞにしがみついているより、今その時を生きる。働き、飯を食い、家族を養い、遊ぶ。そのためにはとにかく銭が必要だ。彼らにとっては銭とは稼ぐことを目的とするのではなく、あくまで生きる術にほかならなかった。落語の決まり文句のような「宵越しの銭は持たねえ」というのは江戸っ子の矜恃だと言われるが、そうなれば明日死んだとしても帳尻が合う。
江戸時代の定めでは十両ばかり盗めば打首となる。今の価値で十両と言えば十数万円といったところか。昨今何かと取り沙汰される不倫(不義密通)も死罪である。現代の人にしてみればとても厳しいように感じるだろうが、これ一つとってみても、この時分の死は身近な存在だったのである。