なぜ「日本」は「世界一の鉄砲大国」に? その「意外な要因」
『日本史サイエンス〈弐〉』本記事は播田 安弘『日本史サイエンス〈弐〉 邪馬台国、秀吉の朝鮮出兵、日本海海戦の謎を解く 』(ブルーバックス)を抜粋・再編集したものです。
たたら製鉄が生んだ高度な製鉄技術
倭国と呼ばれていた卑弥呼の時代、日本は世界初とされる翡翠加工の技術を活用し、「翡翠と鉄の道」を通して朝鮮半島から鉄を手に入れていました。その後、古墳時代になると鉄鉱石の産出は少ないかわり砂鉄が豊富に採れるという地質的特徴を生かし、渡来人の指導も得ながら、世界でも類のない独自の方法で鉄を精練するようになりました。それが「たたら製鉄」と呼ばれている精錬法です。
たたら製鉄は木炭を燃料にして砂鉄を加熱し、鉄を採りだすもので、炭の温度が1200度と比較的低温のため鉄に炭素や不純物が残りやすく、それらを取り除いたり、細かく分散させるための鍛鉄作業が延々と繰り返されます。その結果、最高の純度となった玉鋼が得られるのです。
これにより、刃の部分に粘土を塗り焼き入れすることで刃の部分や外側は純度は低い(炭素が多い)硬鉄で、内部と背の部分は純度が高い(炭素が少ない)軟鉄でできているという、世界でも珍しい二重構造の刀剣がつくられました。日本刀です。
硬軟の二重構造によって、細身で軽量でありながら強靱という二つの長所を兼ね備えた日本刀は接近戦では世界最強の武器ともいわれ、鎌倉時代の元寇の役では蒙古軍を恐怖に陥れて蒙古撃退の一翼を担いました。また、二重構造による伸縮差が生みだす優美な曲線を描く刀身は、武器としては世界で唯一、美術工芸品としても扱われています。
こうした日本刀の複雑な製造工程を通して、日本の刀鍛冶は鉄の鍛錬や加工について熟知していました。そのため初めて鉄砲を見たときも、その複製にいちはやく取りかかれたのです。
刀鍛冶が編み出したのは、「巻き張り法」という複雑な製法でした。それは丸い棒の外側に、細長い板状の鉄板を叩いて曲げながら何重にも巻きつけて、最後に棒を抜くと銃身ができあがるというもので、これによって火薬の爆発の圧力に耐える強い銃身ができたのです。

この巻き張り法は、世界的にも、より爆発力の高い無煙火薬の銃が登場する18世紀まで使われ、そのような銃は「ダマスカス銃」とも呼ばれています。鉄砲の本場英国でも、ダマスカス銃の製作には最良の鋼材と最高の技術が不可欠といわれ、18世紀末まで高級銃として珍重されていました。巻き張り法でできた日本の鉄砲は「鳥銃」とも呼ばれ、精度がよく西洋製の銃より優れていたともいわれています。有名な宣教師のルイス・フロイスも、日本の鳥銃の品質は最高であると言ったと伝えられています。