ソニーがCDの容量は「74分」と決めたワケ…録音開発に深く関わった、クラシック界「大御所指揮者」の名前
ベルリン・フィルと並び、世界二大オーケストラとして知られている『ウィーン・フィル』は、 ニューイヤーコンサートでもおなじみ、小澤征爾さんが指揮をしたこともあるオーケストラだ。
そんなウィーン・フィルが長きに渡り、唯一無二の音楽を観客に届けられた理由のひとつに、経営のユニークさがある。じつはこれまで一貫して経営母体を持たず、その運営は演奏家が自らが行ってきたという。そんな後ろ盾を持たない彼らは、どういう手法で収入を得ているのだろうか。
<【第2回】クラシック界が大躍進した「レコード技術」の発展…これだけで「業界全体」が潤うようになったワケ>では、3種類の方法のうち、録音技術の発展がクラシック界にとってまさに「音楽の革命」だったことを述べた。
本稿では、そこからCDの時代に移り変わりクラシック界がどのように変わっていったのか。その詳細を音楽ジャーナリストで『ウィーン・フィルの哲学』の著者である渋谷ゆう子氏が迫る。
二人の指揮者とCD容量「74分」の謎
音源制作の歴史で忘れてはならないのが指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンである。今なお熱狂的なファンが多く、知名度では他の追随を許さない指揮者だが、一方で音楽愛好家にはアンチカラヤン層が常に一定数おり、今でもカラヤンネタはSNSで揉め事のタネとなるなど、名実ともに話題に満ちた指揮者である。
そんなカラヤンがCDという新技術の開発に深く関わっていたというのは、音楽愛好家の間ではよく知られた話だ。1980年代のはじめ、CDの技術開発を進めていた当時のソニー社長の大賀典雄は、友人であるカラヤンに意見を求めたという。
大賀は東京藝術大学声楽科出身という異色の経営者であり、クラシック音楽への愛情が深く、レーベルの買収、CBS・ソニーの設立や音楽再生技術の開発にひときわ力を入れていた。
その一環として進んでいたCDという新規フォーマットの「容量」を決めかねていたソニーは、カラヤンの「ベートーヴェンの第九が1枚に入れられること」という意見を採用し、CD一枚につき74分という記録量を持つ仕様にしたという。
実際のところ、カラヤンが指揮をしたときの第九は、(オーケストラは違えど)ほぼ60分台に収まっているので、この「74分採用説」はいささかご都合主義的な逸話ではある。しかし、カラヤンと大賀の友情は疑いのない事実であり、CDがその後のカラヤンの音楽制作を支え、収入の面でも大きく貢献したことは間違いない。