「二足歩行」か「四足歩行」か、はたまた「水棲」か?「スピノサウルス」をめぐる「大激論」
中生代は、約2億5200万年前から約6600万年前まで、約1億8600万年続いた時代です。その間、一般的にも注目され人気の高い恐竜が誕生し、繁栄し、絶滅しました。
恐竜が誕生した三畳紀、恐竜が巨大化し、種類を増やし、さらには空にも進出を始めたジュラ紀、さらに多様化し、多くの羽毛恐竜が現れ、大繁栄の末、巨大隕石の衝突と共に絶滅した白亜紀。
本記事の抜粋元『カラー図説 生命の大進化40億年史 中生代編 恐竜の時代ーー誕生、繁栄、そして大量絶滅』(ブルーバックス)では、これら三つの時代を、恐竜をはじめとした様々なグループ、約110種の生き物を紹介しながら概観していきます。登場する生物を追っていくだけで、生命の進化の流れが理解できる構成になっています。
どんな姿で、どこで生きていたのか
「スピノサウルス(Spinosaurus)」という獣脚類が、白亜紀半ばの北アフリカに暮らしていた。
全長14~17メートル。獣脚類としては、最大級のサイズである。頭部は前後に長く、そして細い。口には、円錐形の歯が並ぶ。最大の特徴は背中の“帆”だ。脊椎の一部(棘突起)が、平たく長く上方へ伸び、並んで「帆」をつくっていた。生きていたときは、この平たい棘突起を覆うように皮膜が張られていたとみられている。
2010年代半ばから、スピノサウルスの復元と生態をめぐる議論が展開されている。

もともと、スピノサウルスは、ドイツ人古生物学者のエルンスト・シュトローマーによって、1915年に報告された。このときシュトローマーは、二足歩行で背を立てた、いわゆる「ゴジラ立ち」の姿勢でスピノサウルスを復元した。当時の復元の主流である。
シュトローマーがエジプトで発見し、この報告に用いた化石は、現在までに知られているスピノサウルスの化石で、最もよくスピノサウルスの特徴を備えていた。
しかしその化石は、1944年に戦災で失われた。化石を保管していた博物館が空襲を受け、博物館もろともに、スピノサウルスの化石も灰燼に帰したのである。
戦後、北アフリカでいくつかのスピノサウルスの化石が新たに発見された。しかし、いずれの化石も、シュトローマーの化石ほどにスピノサウルスの特徴をとらえたものではなかった。
20世紀も終わりが近づくと、獣脚類の復元が「ゴジラ立ち」から変更されるようになった。からだを水平に倒し、尾をまっすぐ伸ばし、2本のあしですっくと立つ。そんな姿が獣脚類の復元の主流となり、スピノサウルスの復元も同様に修正された。2009年には、シュトローマーの残した論文や写真なども参考に、初めて全身復元骨格が制作された。この全身復元骨格は、幕張メッセで開催された恐竜展で公開された。
この時点までに、スピノサウルスは「魚食性の大型獣脚類」という見方が確立していた。円錐形の歯は、現生の魚食性のワニのものとよく似ているし、細い吻部は水の抵抗を少なくすることができる。翼竜類や他の恐竜類を襲った証拠とされる化石も報告されているけれども、主食は魚であったとみられている。実際、近縁種には胃の内容物として、魚の鱗が確認されている。水際や浅瀬に立ち、鼻先を水中に突っ込んで、魚を獲っていたらしい。のちの研究では、その吻部の先端には、ワニがもつような“圧力センサー”があり、魚の泳ぎを捉えやすくなっていたともされる。
スピノサウルスが魚食性であったという見方は、現在でも揺らいでいない。