「ひゃにほれえひよ」キマると支離滅裂に…一瞬で「理想の世界」に行ける麻薬「アヘン」のヤバい作用

昭和初期の満州を舞台に、アヘンの密売を描いたクライムサスペンス『満州アヘンスクワッド』(原作/門馬司、漫画/鹿子)。1931年9月18日の満州事変を契機に現在の中国東北部に成立した満州国は、アヘンで栄えアヘンとともに滅びたと言えるだろう。

そんな約100年前の満州の「裏社会」では、いったい何が起こっていたのか……? 前編記事『最悪の麻薬「アヘン」にハマった中国人たち…一度吸ったら死ぬまで中毒な「残酷すぎる末路」』に引き続き、『昔々アヘンでできたクレイジィな国がありました』より、アヘンをめぐる当時の満州の事情を紹介しよう。

アヘン密売ルートの実態

イラン産アヘンの密売に関与した上海駐在の三井物産社員の言葉です。

「熱河の阿片は、満州国政府と関東軍の背後にいる甘粕がヒモだから、熱河産阿片に手を出したら命はない」

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満州国のアヘン法に抵触するからヤバイのではなく、関東軍の金蔓を侵す行為がヤバイということです。危険を察知したときにはすでに手遅れで、甘粕正彦の手の者に拉致され、文字通り“消される”のが関の山。

アヘン売買のルートは何本か存在していました。もっとも上質な芥子が栽培されていたのは熱河で、蒙疆と呼ばれた察哈爾と綏遠のものは辛味が強く、香気も乏しいため、熱河産を知る客からは不評だったようです。

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