悲劇の王妃マリー・アントワネット「最期の特注時計」、その超高級時計がたどった数奇すぎる運命
より正確で安価なクォーツ式が普及したにもかかわらず、高価な機械式腕時計の虜になる人が後を立たないのはなぜなのか。
コロナの渦中も、むしろ売上を伸ばした高級時計人気の秘密と、その本当の価値、選び方、買い方や心得について、時計マニアの評論家・山田五郎さんが、独特の視点で鮮やかに解説します。
名画をおもしろわかりやすく解説したYouTubeチャンネル『山田五郎 オトナの教養講座』も、あっと言う間にフォロワー48 万人超え。評論・解説の確かさに定評のある評論家・山田五郎さんは、じつはAHS(イギリス古時計協会)、GPHG(ジュネーヴ時計グランプリ)アカデミー会員であるほど時計の知見も非常に高い。
そんな五郎さんが、小学生時代以来、愛してやまない時計人生の集大成をまとめたのが、『機械式時計大全』(講談社選書メチエ)。この記事は、その本からの抜粋で構成したものです。

『セビリアの理髪師』や『フィガロの結婚』で知られる劇作家ボーマルシェの元々の職業は時計師で、時計作りで貴族に成り上がったのです。
時計でのし上がった山師貴族の反体制劇
ボーマルシェの本名は、P= A・カロン(1732-99)。パリで時計師の息子として生まれました。1753年、弱冠21歳で2枚のコンマ(フランス語でヴァーギュル)型の爪を持つ「2重ヴァーギュル脱進機」を開発。このアイデアを国王付き時計師J= A・ルポート(1720-89)が横取りしたと科学アカデミーに訴えて勝訴します。
この事件が話題となってルイ15世に謁見を許され、寵姫ポムパドゥール夫人に指輪時計を贈って宮廷内に人脈を拡大。時計修理を頼まれた貴族の女性と結婚し、彼女の所領の地名からド・ボーマルシェを名乗り、国王秘書官の肩書きを買って貴族の地位を得たのでした。
もっとも筆者の個人的見解では、彼が自らの力だけで新脱進機や指輪時計を作ったかどうかは疑問です。というのもボーマルシェのバックには、共に彼の父に学んだ兄弟子で後に義兄弟となるJ =A・レピーヌという本物の天才時計師がついていたからです。

いずれにせよ、晴れて貴族の肩書きを得たボーマルシェは、レピーヌに店を譲って時計師を辞め、国王の私設外交官と称してさまざまな山師的な活動にいそしむ傍ら、戯曲を執筆。1775年初演の『セビリアの理髪師』で一躍、人気劇作家の仲間入りを果たします。