蓄音機で聞いていた「歌」
上記の「夕食を食べてから寝るまでの間になにをしていたのか」について、山川は、明治天皇のケースを以下のように証言しています。
〈御夕食後は蠟管の蓄音機で、「北白川宮台湾入」とか、「大塔の宮」などという琵琶歌をよくお聞きになって、時にはご自分で口ずさんでおいでになることもございました〉(75頁)
19世紀の終わりから20世紀のはじめに普及した「蝋管」の蓄音機を明治天皇は使っていたようです。
また、聞いていたのは「北白川宮台湾入」の琵琶歌とのこと。
琵琶に合わせてうたう「琵琶歌」は、そのいくつかの流派のものが「新琵琶歌」として日露戦争以降ブームになっていたそうで、この山川の回顧と平仄が合います。
「北白川宮」というのは、北白川宮能久親王のことでしょうか。北白川宮能久親王といえば、明治天皇の「義理の叔父」にあたる人物。皇族であるにもかかわらず、戊辰戦争の際には徳川の側につく素振りを見せたことで知られます。
明治維新の後は陸軍軍人として活動しました。日清戦争の後には、近衛師団長として割譲された台湾を征討しに出征し、現地で病没しました。
明治天皇は食事の後、蓄音機で琵琶歌を聴きながらそんな「義理の叔父」の「台湾入」の勇姿に思いを馳せていたのでしょうか。