日本の近代化を支えた思想家であり、慶応義塾の創設者としても知られる福沢諭吉。
彼がいち早く西洋の思想を学び身に着けることができた背景には、緒方洪庵が開いた適塾での「蘭学修業」があったという。
厳しい実力勝負の環境のなかで、若き日の福沢が見出した「真の学問」の姿とは?
※本記事は、大久保健晴氏の新刊『今を生きる思想 福沢諭吉 最後の蘭学者』を抜粋・編集したものです。
「目的なしの勉強」こそ真の学問
福沢諭吉は『福翁自伝』のなかで、緒方洪庵の適塾で学んだ日々を「蘭学修業」の時代と評する(『福澤諭吉全集』7巻、35頁)。

そんな適塾の建物は、大阪市中央区北浜、多くのビルが立ち並ぶオフィス街の一角に今も残る。1970年代の解体修復工事を経て、現在、大阪大学により一般公開されている。近くには懐徳堂の旧阯碑もある。
江戸時代に時計の針を巻き戻したかのような、趣のあるその町屋に足を踏み入れると、むせかえるような夏の暑さのなか、裸で勉学に励む福沢たち塾生の活気あふれる議論が聞こえてくるような心持になる。