福沢が欧米で見たもの
三度の欧米見聞が福沢の思想形成に果たした意義について、2つの点に注目したい。
第一に、遣欧米使節の一員として西洋各地の最先端の軍事施設や工場、電信局などを見学した。しかしそこで西洋の人々が講釈する学術の内容は、蘭学修業を通じて蒸気や電気に関する原書を熟読し、その原理に精通していた福沢にとって驚きではなかった。
それに対して福沢が精力的に注意を向けたのは、西洋世界の法制度や政治文化、経済や商慣習であった。なぜ「保守党」と「自由党」が「政治上の喧嘩」をしながら、議会が終わるとテーブルで一緒にお酒を飲んでいるのか。「少しもわからない」。議院や内閣の制度、選挙法、銀行や生命保険の仕組みこそが新鮮であった(『福澤諭吉全集』1巻26-29頁、7巻107-108頁)。
第二に、ヨーロッパへの旅の途上、香港などに停泊するなかで、西洋列強による植民地支配の実態を目の当たりにし、日本の国家的独立を脅かす西洋諸国の権力政治に危機感をつのらせた。それは同時に、中国と日本との文明化の差異を意識する契機にもなった。
福沢はロンドンで学ぶ中国の学士と面会した際、日本では「蘭学」により西洋の事情を知る者が1000人を超えるが、清朝中国で洋書を理解できるのは「十八名」に過ぎないという話を聞く(『福澤諭吉全集』5巻185頁)。こうして西洋経験を通じて獲得した蘭学を機軸とする日中比較の視座は、その後の福沢の日本文明論やアジア認識に独特の陰影を与えることとなる。
【参考文献】
慶應義塾編『福澤諭吉全集』全21巻別巻1冊、岩波書店(再版)、1969-71年
梅渓昇『緒方洪庵』吉川弘文館、2016年
Kleiweg de Zwaan, J. P. [1917], Völkerkundliches und Geschichtliches über die Heilkunde der Chinesen und Japaner (Haarlem: de Erven Loosjes).
慶應義塾編『福澤諭吉全集』全21巻別巻1冊、岩波書店(再版)、1969-71年
梅渓昇『緒方洪庵』吉川弘文館、2016年
Kleiweg de Zwaan, J. P. [1917], Völkerkundliches und Geschichtliches über die Heilkunde der Chinesen und Japaner (Haarlem: de Erven Loosjes).
この続きは、本記事の抜粋元『今を生きる思想 福沢諭吉 最後の蘭学者』でお読みいただけます。