日本の近代化を支えた思想家であり、慶応義塾の創設者としても知られる福沢諭吉。
西洋の文明を積極的に紹介したことでよく知られますが、現代的な文明が社会にもたらす害についても警鐘を鳴らしていました。
なかでも、情報化やグローバル化の進展が社会の分断を生むという指摘は、SNSの時代を予見していたかのようでもあります。
非合理的な感情に流される人々の衝突を避けるにはどうすればよいのか。福沢の著作から考えます。
※本記事は、大久保健晴氏の新刊『今を生きる思想 福沢諭吉 最後の蘭学者』を抜粋・編集したものです。
現代文明がもたらす矛盾と影
福沢は『文明論之概略』公刊以降、変転する同時代の政治課題に取り組んだ。明治12(1879)年には『民情一新』を著し、イギリス流の政党内閣制に基づく国会の早期開設という、新たな制度構想を前面に打ち出した。

同書は、「近時文明(modern civilization)」すなわち現代文明の「外形」が人々の内面にもたらす矛盾と影を悲観的に描き出した、画期的な作品である(松沢弘陽『福澤諭吉の思想的格闘』参照)。
福沢はいう。誰も文明の進歩をとめることはできない。ここでもその証拠として福沢が引くのは、徳川期における蘭学者たちの存在である。「宝暦・明和の頃」、前野良沢や杉田玄白たちが「荷蘭(オランダ)の書を講じた」とき、人々はそれを「奇怪」と評した。しかし「天保・弘化の頃」になると、「蘭学」の「翻訳出版」の数は増大した。「世の文明開化は次第に進むを常」とする。
だがそのうえで問題となるのは、「蒸気船車、電信の発明と、郵便、印刷の工夫」という「近時文明」が、「人類肉体の禍福のみならずその内部の精神」に対して、従来の想像を超える甚大な影響を及ぼしていることである(『福澤諭吉全集』5巻15-16、24頁)。
今日の世界では、産業革命の産物として蒸気船車や電信のテクノロジーが膨張的発展を続け、印刷や郵便、新聞の発達によって情報「インフヲルメーション」が地球上を駆け巡り、「全世界中に思想伝達の大道」が開かれている。日本も無縁ではない。近い将来、物流や新聞の発展により、方言やなまりは「平均」化され、もはや「国の全面を翻して一場の都会に変じ」、日本全国が一つの都会と化すであろう(『福澤諭吉全集』5巻24-30、39頁)。