群衆の心を最も打つのが、常に、事件の不思議な、伝説的な方面である。
群衆は、心象[イマージュ]によらなければ、物事を考えられないのであるし、また心象によらなければ、心を動かされもしないのである。この心象のみが、群衆を恐怖させたり魅惑したりして、行為の動機となる。
群衆は事実そのものでは動かない
群衆の想像力を動かす事柄はすべて、付帯的な説明から離れた切実鮮明な心象、あるいは一大勝利とか、一大奇蹟とか、一大犯罪とか、一大希望とかいうような、若干の奇異な事実のみを伴う心象の形で現われるのである。

事柄を大雑把[おおざっぱ]に示すことが肝要であって、決してその由来を示さない。
百の小犯罪、百の小事件は、少しも群衆の想像力を動かさないであろう。
ただ一つの重大な犯罪、ただ一つの大変災は、たとえ百の小事件を合計した場合よりも、はるかに惨害の少ない結果を伴うものであっても、深刻に群衆の心を動かすであろう。
民衆の想像力を動かすのは、事実そのものではなくて、その事実の現われ方なのである。
それらの事実が――こういっていいならば――いわば凝縮して、人心を満たし、それにつきまとうほどの切実な心象を生じねばならない。
群衆の想像力を刺戟する術を心得ることは、群衆を支配する術を心得ることである。
さらに、「ル・ボン『群衆心理』が見抜いていた「バズワード」という存在の「危険すぎる力」」(3月19日公開)では、人を群衆へと誘い、それをコントロールする方法の一端を紹介します。