2023.03.14
【閲覧注意】51歳女性は雪原で内臓を喰い尽くされた…士別「仔連れ人喰い熊事件」の全貌
近年は人気観光スポットとして注目を集め、名産のサフォーク(羊)に舌鼓を打つ観光客も多い、道北の士別。しかしこの地の真の名物は恐るべき人喰いヒグマたちだったのである。
地元民の証言
北海道でヒグマによる被害がもっとも多かった地域として、士別市が挙げられる。特に市西部の温根別村では、大正から昭和初期にかけて人喰い熊事件が多発した。
なぜこの地域にヒグマの出没が集中したのかは、拙著『神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史』で指摘している通りだが、端的に言えばこの地域が「ヒグマの通り道だった」ことによる。
それは以下のような地元民の証言からも知ることができる。
おそらく西士別学田から南士別(演武)・イパノマップ、さらに温根別へと熊が通る路であったようです(さいもん語りと開拓 南條兵三郎)(『けんぶち町・郷土逸話集 埋れ木 第一集』剣淵町教育委員会)
毎年春になると、堅雪の頃は定期的に、近文アイヌの人達が剣淵駅で下車し、北兵村経由で藤本~北斗を通り温根別の北線や伊文(犬牛別)の羆とりのため何組も通りました(朔北の地に根づいて 浅井隆則)」(『けんぶち町・郷土逸話集 埋れ木 第一集』剣淵町教育委員会)
「熊の通り道」はアイヌの人々にとっては絶好の猟場だったのである。