「電気代高騰」にあえぐ私たちと、じつはそんなに変わらない…「食事と暖」を取るのに必死な「戦国時代の庶民の生き方」
食料品の価格や電気代の止まらない高騰に溜息が出る昨今だが、戦国時代の庶民も食っていくのと暖を取る(燃材の確保)のに必死だった。当時は温暖化ではなく寒冷化ではあるものの、地球規模の気候変動によって生活にダメージを負っていたのも、今の私たちと似ているかもしれない。
『戦国日本の生態系 庶民の生存戦略を復元する』(講談社選書メチエ)は、織田信長、徳川家康をはじめとする大名の英雄物語に光があてられがちな戦国日本において、庶民がどんな生存戦略を選択していたのかを示している。ステレオタイプなイメージとは異なる「戦国時代の庶民」の姿を知ることで、私たちも「生きるってこういうものだろう」という固定観念から解放されるきっかけを得られるかもしれない。この本の著者で大阪経済大学教授、日本経済史研究所所長の高木久史氏に訊いた。

戦国時代、庶民は一方的に支配されている存在ではなかった
――高木先生は政治→社会・生活・文化史の順に配置する学校での歴史の教え方に疑義を呈されているそうですが、なぜでしょうか。
高木 「歴史の勉強」と言うと、源頼朝や足利尊氏なんかの名前を覚えて「誰が○○幕府を作ったか」をテストで問われる、みたいなイメージがありますよね。教科書の記述がそうなっていますから。でも英雄中心で歴史を語らなければならないなんて規範はないわけです。歴史はどこから語り始めてもいい。加えて言えば、学校教育を離れてテレビドラマや小説でも、英雄が歴史を動かしているようなかたちで書く傾向があるように思いますが、学術的な立場からいうと必ずしもそれは正しくないこともあります。私たちはおいしいごはんを食べて安心して寝られるかという生活レベルのことに興味を持っている。われわれ庶民がより物質的に安定し、安心できる社会にするためにはどうしたらいいかの手がかりを得ることが、歴史を学ぶことの大きな意味だと私は考えています。
――庶民の暮らしに注目する、と言っても、高木先生は戦国時代の「普通の人たち」が、権力者に一方的に支配され服従させられている存在としては捉えていないわけですよね。
高木 そうですね。たとえば糸生郷からの納税一覧には燃材や食糧のような物質以外に、他国への戦争のときにヨキ(小型の斧)を持って工兵として従軍することを求めています。そして動員に参加してくれれば税が免除された。つまり農民の行政権力への奉仕は無償ではなく、反対給付があった。ギブアンドテイクが成立したから「服従する」ことを「選択」していたと見ています。