当時、中国人は、カラスを不吉な鳥として嫌い、不愉快な宦官たちを「鴉(カラス)」とあだ名していた。そのため逆に、宦官たちもカラスを憎んでいた。
〈彼らはいつも罠をかけて鴉を捕え、それからその脚に大きな爆竹を縛りつけて、さてその不幸な鳥を放してやるのです。当然、あわれな鳥は喜んで飛び去るのですが、火薬が爆発する頃までには空中高くあがっていることになって、かくてあわれな鳥はずたずたにちぎれて飛ぶことになります。〉(135頁)
〈太監(宦官)がこの残酷な悪戯をやったのは、これが初めてではないようです。なんでも血と苦痛を見るのは太監をひどく喜ばすのだということです。(中略)その日は折しも太后陛下が御寝になっている時に陛下の御殿の方に鴉が飛んで行き、ちょうど中庭を過ぎる時に火薬が爆発したのでした。〉(135頁)
この報告を聞いて激怒した西太后は、御前で若い宦官の処刑を命じたが、二人の宦官が重い竹の棒で100まで叩いたところで、李蓮英が自分の頭を音が響くほどに石の床に打ち付けて詫び、放免になった。徳齢は恐怖で息も出来ないほどだったが、ほとんど毎日のようにこんな刑罰の場面を見ている宮廷の人々は、誰も驚いてはいないのだった。

抜け落ちた髪を元に戻せ!
そして別の日、太后が怒り、李が罰を加える場面を徳齢は再び目にすることになる。その日は起きた時から太后の気分が悪く、皇帝が跪いて朝の挨拶をしても目にも留めない。またいつも髪をあげ整える宦官が休んで別の男が手伝ったところ、わずかに髪が抜け落ち、太后に見咎められた。
〈太后陛下は鏡ごしに彼を御覧になって、自分の髪を引き抜いたのじゃないかとお尋ねになりました。左様でございますと彼は答えました。この答に陛下は激怒なすって、元にもどせとおっしゃいました。私はもう少しで笑うところでしたが、この太監はひどく恐がってしまって、号泣しはじめました。〉(185頁)
太后は朝の召見をすませた後、宮殿監督の李蓮英にさきほどの出来事を話した。
〈この李というのはほんとうに奸悪で残忍な人間でした。そして、「なぜ、この男をお打ち殺しにならないのです?」と申しあげるのでした。するとさっそく陛下は李にこの男をその宿舎に連れて行って罰を受けさせよと御命令になりました。それから太后陛下は料理がまずいとおっしゃって、料理番もやはり罰するようにという御命令をお出しになりました〉(186頁)