知的好奇心に突き動かされ、ひたすらに研究を進めた科学者たち。しかし、彼らが開いた原子力の扉は、ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマの悲劇につながる。原子力の歴史は、人の業の歴史でもある。
始まりはベクレルという男

1911年、キュリー夫人がラジウム、ポロニウムの二つの放射性物質を発見し、2度目のノーベル賞を受賞した。それから100年目の今年、彼女の偉業を記念して、国連は2011年を「世界化学年」と定めた。まさにその年、福島で原発事故が発生し、原子力と放射能が悪い意味で世界の耳目を集めたのは歴史の皮肉というしかない。
事故後、連日報じられている原発や放射能関連の情報に、正直うんざりしている読者も多いことだろう。しかし、放射能や原子力がどのように発見され、原発が誰によって開発されたかについて、正しい知識を持っている人は少ないのではないか。いま一度、放射能発見の歴史を辿ってみよう。
時は19世紀末にさかのぼる。放射能の第一発見者は、フランスの物理学者アンリ・ベクレル。大震災以降毎日耳にする「ベクレル」の由来となった人物だ。
ベクレル家は彼のほかに祖父、父、息子、従兄弟がそれぞれ著名な科学者や医師であり、ベクレル自身も生粋のエリート科学者としての人生を歩む。専門は蛍光物質の研究であった。

1896年、ベクレルはウラン化合物に日光を当てるとX線が発生することを証明するために、毎日実験を繰り返していた。あるとき、曇り空のため実験を中止したベクレルは、ウラン化合物を写真乾板と一緒に机の引き出しにしまう。数日後、引き出しを開けた彼が見たものは、光に当てていないにもかかわらず黒く感光した乾板であった。
犯人は、ウランが発する放射線だった。人類が放射能を発見した瞬間である。その意義を神奈川大学の常石敬一教授はこう話す。
「物理学の歴史では、放射線の発見は17世紀のニュートン力学、19世紀の電磁気学、20世紀の量子物理学と並ぶ重要な出来事です」
現在の感覚からすれば、引き出しに有害なウランをしまっていたとは仰天だが、世紀の大発見はこんな偶然から生まれたのだ。