
膨大な費用、時間、手間、果てしない心労…「法的紛争は避けるに越したことない」という結論に至った元裁判官が、その方法を教えます
相続がらみの骨肉の争いを何年にもわたって続けている兄弟姉妹、離婚訴訟の終わりまでに互いに二度と顔も見たくないような関係になる夫婦は、たくさんいます。こうした訴訟における相互の人格を激しく傷付け合う言葉や主張の交換、相手を引き裂きたいほどの憎しみを含んだ視線の応酬には、時として、鬼気迫るものさえ感じさせられることがあります。
医療過誤に基づく訴訟や欠陥住宅に関する訴訟等の手間のかかる訴訟について、適切な弁護士をみつけることができずやむなく本人訴訟を行った人々の中には、長引く訴訟の過程で体調を崩す例もみられます。中には、一夜にして白髪になってしまった、途中で急死してしまったなどといった例さえあります。
しかも、そうしたつらい訴訟の結果として得られるのは、しばしば、相次ぐ敗訴判決であり、みずからの主張が裁判所に認めてもらえなかったという苦い思いです。そして、そうした経験からこうむった精神的な傷は、長く尾を引いて残ることになります。
さらに、大きく複雑な紛争を抱えた人の中には、最初の訴訟の結果に納得できず、別の観点から新たな訴訟を起こし、訴訟を繰り返すうちに、とりつかれたように無限ループの中にはまってしまい、人生の大きな部分を浪費するような例も出てきます。
法的紛争は、手間も費用も時間もかかり、何よりも心労が大きいのです。先のような例のとおり、生命や健康に相当のダメージを受ける場合さえありえます。
「自分が被告になってしまう」可能性もある
なお、以上は、あなたが原告ではなく被告になる場合についても、同様にいえることです。
訴えることは自由であり、憲法上の権利(32条)でもあるわけですから、訴えられれば、たとえその訴えが理由のない可能性の高いものであっても、被告には、応訴する義務があり、出廷せず書面も提出しなければ、相手方の言い分を認めたものとみなされて、敗訴判決を受けることになります(民事訴訟法159条1項、3項)。
そして、たとえ原告の訴えが不当なものであっても、応訴の心労や手間は、やはり、非常に大きいのです。
言いがかりや理不尽な主張であっても、事情を知らない第三者である裁判官にそのことを納得してもらうためには、トラブルの経緯や自己の見解をまとめた資料を用意したり、みずからの主張を裏付けるための客観的な書証(書面による証拠。たとえば契約書等)を集めたり、証人を用意したりしなければなりません。
普通の市民がこれをするのは大変なことですし、弁護士に委任すれば、当然のことながら、相当の出費が必要になります。また、弁護士に委任した場合であっても、すべてを任せられるわけではなく、やはり、説明のための準備や資料の収集は必要です。

こうした訴訟対策に費やされる時間と精神的なストレスは、たとえば簡裁訴訟事件のような小さな事案であっても、非常に大きなものになりえます。
また、裁判というものは、結果が明確に予測できるものではありません。時としては、あなたには理不尽なものに思われる相手方の訴えが認められることも、ありうるのです。