京極が「操觚者」と呼んだ人々
京極夏彦のシリーズ第3弾新刊『書楼弔堂―待宵』(集英社)に散見する「操觚者(そうこしゃ)」というが表現がある。同書の時代設定は明治30年代後半、古今東西の書物が蝟集する当時の東京市街から外れた地にある書舗(書店)が舞台だ。
その書楼弔堂を訪れる迷える者たち(徳富蘇峰、岡本綺堂、宮武外骨、竹久夢二、寺田寅彦ら)を称して、京極は「操觚者(今日のジャーナリスト)」と呼ぶ。現代語解釈からすれば彼らをジャーナリストとして一括りにするには無理があるだろう。
だが、京極は当時の支配層(宮家から政・財・官・学界までの所謂「権力者」)に抗して異を唱える者をジャーナリストと位置付けた。もちろん、登場人物各々の反権力度合いは異なる。

正直言って、筆者は本書を読むまで「操觚者」なる表現を知らなかった。なぜここで取り上げたのか。もちろん、理由がある。偉そうに言うつもりは毛頭ないが、筆者は自らを「ファクト・ファインディング・ライター(Fact finding writer)」、「インベスティゲイティブ・レポーター(Investigative reporter)」と自任している。平たく言えば、事実を追うべく調査報道者たらん、ということである。
最近、我が身を置くジャーナリズム界では、どうも「事実追及」と「調査報道」が少々お座なりになっている、ないしは軽視されていると感じている。
自戒を込めて直近の自身の取材体験を紹介したい。それは岸田文雄首相の「ウクライナ電撃訪問」計画に関する事案である。