日本そのものの高齢化が根本原因だ
バブル崩壊以来、日本が失われた○○年などという言葉で表現されたような状況に陥った原因は複数ある。

まずは、バブル崩壊以降つい最近まで数十年にわたって続いた「デフレ経済」である。特に2021年6月19日公開「米国企業が『デフレ』に強く、日本企業が『インフレ』に強い、納得の理由」で述べたように、日本経済は「デフレに弱い」ためうまく対応できなかった。
さらに、バブル崩壊の原因は、昨年7月31日公開「日本の課題・競争力復活、その秘密は『現場重視』の日本型経営にあり」5ページ目「日本企業疲弊の原因」で述べた「本来の日本型経営」を忘れバブルに踊った無能な経営者にある。
しかし、彼らはそれを棚に上げ「欧米(特に米国)型経営こそ正しい」と吹聴し、何の工夫もせずに多くの日本企業がそれを取り入れた。それも長年にわたる日本経済不調の原因である。
しかし、意外に忘れられているのは「日本そのものの高齢化」である。いわゆる「少子高齢化」はかなり前からうんざりするほど騒がれているがそのようなことではない。
日本を構成する人々が高齢化することにより、政治・社会システムあるいはメディアも高齢化しており、それが日本の進路を誤まらせる結果になっているということである。
国土交通省の平成21年度「国土交通白書」序章第1節「大きな変化の中にある日本」によれば、1960年に約29歳であった日本の平均年齢は、1980年の約34歳を経て2008年時点では約44歳となった。そして現在は48歳を越え50歳に迫る勢いだ。
ベトナムの現在の平均年齢が約33歳であるから、1960年当時の日本は驚くほど若い国であったが、現在は富裕層の引退先として有名なモナコに次ぐ世界第2位の「高齢国」であるとの資料もある。主要国の中で「世界最高齢国」であることは間違いないであろう。
これは「日本という国の考え方そのものが高齢化」していることに他ならない。1960年当時の日本人から見れば、現在の日本は「年寄り臭いことばかり言って、覇気の無い国」になっているのではないか。
「年より臭いことばかり言って、覇気の無い国」のまま、どのような「改革」を行おうとしても結局は上手くいかない。例えば年寄り臭い発想のまま行う「少子化対策」が効果を発揮しないのも当然だ。