しかし世の中分からないもので、翌年の伊勢神宮の遷宮祭の折には祭り気分も手伝って、異常なほどの大人気となり、代金を収める場所にも困るほどに努力が報われた。これを機に「あいすくりん」を手掛ける人も陸続したようだが、彼自身はそれに執着することなくさっさと手を引き、造船方面の仕事についてしまう。
そのまま続けていれば相当の財を成したのではないかとも思うのだが、そうしないところが骨っぽい。幕臣の家系ゆえか、清く国家的プロジェクトにつながることでお国に貢献する道を選んでいる。その陰には、かつて太平洋横断で運命を共にした勝海舟(麟太郎)の働きかけがあったとの推測もなされている。
しかしながら、日本で最初にアイスクリームを作った男という甘き名誉は溶けて消えることなく、歴史に刻みこまれていつまでも語り継がれるところとなった。そしてこの後、彼が手掛けたアイスクリームは、長きに亘って私たちに大いなる甘き夢を見続けさせてくれることになる。
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さらに【日本で「はじめてプリンをつくった」人は誰だったのか? 幕末・明治の状況が示すこと】(3月17日公開)の記事では、プリンの歴史について詳しくご紹介します。