2023.03.17
日本で「はじめてプリンをつくった」人は誰だったのか? 幕末・明治の状況が示すこと
ケーキ、キャラメル、プリン、アイスクリーム……優雅な味わいや楽しい食感、ふくよかな香りでわたしたちを魅惑し、日常生活を彩ってくれる「洋菓子」の数々。
その大部分は、幕末・明治時代になって日本に入ってきたものですが、意外にもわたしたちは、それらお菓子の「導入」や「発展」「流行」について、それほど知識をもたなかったり、あるいは忘れていたりするものです。
若かりし日にフランスやスイスで修行し、世界的に有名なパティシエとなった吉田菊次郎さんは、祖父の代から「お菓子屋」をなりわいとしてきた家業ですが、その視点から、日本のお菓子の近代史をひもといた書籍が『日本人が愛したお菓子たち』です。
甘く、優雅な魅力にあふれたお菓子の近代史。ここでは、日本の「プリン」にまつわる経緯を、同書よりご紹介します。
(*本記事は、『日本人が愛したお菓子たち』を抜粋・編集したものです)
「プディング(プリン)」初見
今日のわが国のスイーツ界を眺めるに、これがないことなど考えられぬほどに日常の暮らしの中に入り込んでいる。これほどまでに好まれるこのお菓子の日本へのお目見えはいつ頃だったのか。
思い切り想像を巡らせれば、1600年代初頭、すでにオランダ商館で作られていた可能性もないではない。しかしながら、何事につけて敵対関係にあったオランダ人が、あえてイギリス発のものを好んだかと深読みすると話は進まなくなるが。
なお、その前に、内なるものに目を向けると思わぬことに気が付く。「茶碗蒸し」の存在である。卵のたんぱく質の加熱凝固の作用による、あれも立派なジャパニーズ・プディングなのだ。これについては、次のような話が伝えられている。