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名門・成城学園からの転校を決断…福王寺彩野が選んだ、息子の個性を伸ばす教育
2023.03.25

十人十色の教育考(前編)

名門・成城学園からの転校を決断…福王寺彩野が選んだ、息子の個性を伸ばす教育

名門・成城学園からの転校を決断…福王寺彩野が選んだ、息子の個性を伸ばす教育 写真/著者提供 画像ギャラリーを見る→

子育てに正解はない。その一方で、教育の選択肢がかつてないほどに多様化し、子どもにとって最善の選択肢がなにか悩む親は多い。そこで、FRaUwebでは、さまざまな家庭を取材し、その多種多様な教育の選択に至るまでのプロセスや、決断の理由を詳しく伺う連載をスタート。どんな選択であっても、それぞれの親・家庭が悩みながら懸命に子どもの未来を想う気持ちをお伝えする。

第1回は、日本のセレブとして学生時代からメディア出演しながらジュエリーのデザインやPR業を務め、現在はInstagram(@ayano_fukuoji)などでお子さんとの生活を発信しているAHKAH取締役・福王寺彩野さんの教育の選択について。華やかで個性が光るSNSの投稿では語り尽くせない、子育ての紆余曲折を教えていただいた。

センスが培われた自由な学生時代

2000年代の華奢アクセブームの火付け役となったジュエリーブランド『AHKAH』で学生時代からプレスを務めていたのが、創業者・福王寺朱美さんのひとり娘、彩野さん。大学在籍中の21歳には、自身のブランド『tinkpink』もローンチ。ピンクにリボンにハートがモチーフのとことん派手でかわいいそのデザインは、L.A.セレブファッションの流行とともに大ヒット! 2008年にはスワロフスキー社に世界で8人のデザイナーのうちの1人として選ばれた。

2013年に元関西ジャニーズJr.の旦那さんと東京ディズニーランドで挙式し世間を驚かせ、2015年に長男を出産。現在は8歳になる男の子と、2歳の女の子のママとして、そして『AHKAH』の取締役兼アンバサダーを務めている。

2児の母となっても変わらない、派手かわいい彩野さんらしさに溢れるInstagramのフォロワーは、現在8万人を越える。歳を重ねて母になっても、時代の流行を追い、自分らしさを貫くことは容易なことではない。

「自分の独自のセンスがどこで培われたのかと考えると、それはやっぱり私が小学校から大学までを過ごした成城での学園生活でしょうか」と彩野さん。

成城学園といえば、幼稚園から大学までの一貫教育を、都内有数の高級住宅街に有する自然豊かなキャンパスで行う名門私立校。創立から100年以上、個性重視の理念を掲げてきただけあって、同校の卒業生は学者から大企業の社長、芸能人、アーティストなど他分野に渡る。

「私が通学していた頃の成城って、本当に自由だったんです。今も伝統として残っていますが、小学校では散歩をするだけで終わる日があったり、自由に遊ぶ授業時間がありました。中学に進学すると男子は制服があるのに、女子はずっと私服なんですよね。トップスは袖付き、ボトムはスカートといった大まかな規則はあるんですが、アクセサリーも付けられたし、髪の毛は例えレインボーに染めたとしても大丈夫な雰囲気がありました。

センスが鍛えられたとしたら、その、自由とはいえ、ある程度制約があるなかでのおしゃれを楽しめたからでしょうか。付属校なので、そんな自分の好きなことに思いっきり時間をかけることができました」

中学あるいは高校受験、そして大学受験もなく過ごした青春時代。自身と似た家庭環境の友だちに囲まれることも「好き」を伸ばしやすい環境だったのだろう。

雑誌では福王寺さんの特集が組まれるなど、ファッションのみならずそのライフスタイル自体が注目された。写真/著者提供

「そのなかでも私は、新しい物を誰よりも先に取り入れたいという気持ちが物心ついた時からしっかりありました。小学生の時、当時の日本では全く見かけなかったTシャツにレギンスを合わせたコーディネートで学校に行って、クラスメイトに驚かれてとても嬉しかったことを覚えています。

中学生になると平成のギャルブームがやってきて、学校には制服がないのに(編集部注:男子生徒は制服あり。女子生徒はえり・そでがついた衣類という決まりはあるが、制服は定められていない)、いわゆる女子高生っぽい制服スタイルをするようになりました。洋服はRalph Laurenでうまく組み合わせて、ローファーはGUCCI、バッグはLouis Vuittonのスピーディを持つような……。今思い返すとめちゃくちゃなんですけど(笑)。

高校生になると、アクリルスカルプチャーネイルが登場し、飛びつきました。学校で付け爪をしている人はひとりもいなかったけれど気にせず登校しました。先生に爪から毒がまわるぞーなんて言われたりもしたけど、それも笑いながら注意される雰囲気だったので、どんどんやりたいことに挑戦できたんです」

雑誌『JJ』や『ViVi』『Popteen』を読んで、放課後は渋谷に出かける。自由で恵まれた青春時代を過ごしてきたことを当時はもちろん、自身が親になるまで、意識することはなかったという。

そのまま附属の大学に進学し、働き始め、結婚をして出産をしても、取り巻く交友関係や住環境は大きく変わらず、ずっと華やかな第一線を歩んできた彩野さん。教育水準の高い地域に住み、子どもを持つ友人も多いので、長男出産後も教育方針に特に悩むことはなかったそう。息子が1歳になるとプリスクールに入り、幼稚園受験クラスを選択。3歳になれば、周囲の多くの子どもたちと同じように家の近くの評判が良い幼稚園に通う未来を漠然と想像した。

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