2023.03.18
日本の「菓子パン」が明治時代に“大流行”したのはなぜか? じつは「意外な理由」があった
ケーキ、キャラメル、プリン、アイスクリーム……優雅な味わいや楽しい食感、ふくよかな香りでわたしたちを魅惑し、日常生活を彩ってくれる「洋菓子」の数々。
その大部分は、幕末・明治時代になって日本に入ってきたものですが、意外にもわたしたちは、それらお菓子の「導入」や「発展」「流行」について、それほど知識をもたなかったり、あるいは忘れていたりするものです。
若かりし日にフランスやスイスで修行し、世界的に有名なパティシエとなった吉田菊次郎さんは、祖父の代から「お菓子屋」をなりわいとしてきた家業ですが、その視点から、日本のお菓子の近代史をひもといた書籍が『日本人が愛したお菓子たち』です。
甘く、優雅な魅力にあふれたお菓子の近代史。ここでは、日本の「あんぱん」「菓子パン」にまつわる経緯を、同書よりご紹介します。
(*本記事は、『日本人が愛したお菓子たち』を抜粋・編集したものです)
和魂洋才の最高傑作
常陸の国、今日の茨城県に士族として生まれ、東京府に上ってきた木村安兵衛(きむら・やすべえ)の手になる名品「あんぱん」について。
維新によって職を失った彼は、はじめ授産所という、婦女子や失業者を集めて技能を習得させたり、仕事の世話をする施設に勤めた。ところがパンという新しい食べ物を知り、「これからはパンだ。これぞ新しき食糧だ」と直感。たちまちにして職を辞するや長崎のオランダ人の下で働いていた梅吉という男を雇い入れ、息子の英三郎とともに東京芝・日陰町にパン屋を開業する。
時に明治2(1869)年、文明開化の“文”と英三郎の“英”の字を取って文英堂と名付けた。しかしながらその年の暮れ、開いたばかりの店は日比谷方面からの出火で焼失。思い切って銀座尾張町(現在の5丁目)に店を移し、屋号も木村屋と改めた。