泉ピン子さんが身近な話題をユーモアを交えながら語る連載「ピンからキリまで”おんなの流儀」。今回は、ピン子さんの結婚観を前後編でお伝えします。前編では、大先輩の森光子さんの結婚エピソードから、「切羽詰まった末の結婚」というキーワードが飛び出しました。後編ではいよいよ、ご自身の結婚秘話を語っていただきます。どうやら、ピン子さんご自身も「切羽詰まって」結婚に踏み切ったようで…。
前編の記事を読む→「結婚はするべきか否か」泉ピン子が大先輩女優の結婚話の顛末に思うこと
親の教えは「男なんか信用しちゃダメだ」
結婚したのは41歳のときです。私の30代は、女優としての代表作が立て続けに生まれていった時期。「手ごろな女」という日本テレビのドラマで初めて主役を演じたときは、ドラマのプロデューサーに、「女の自立とかウーマンリブとか言われる昨今だが、彼女には身体でぶつかる、本当の自立が感じられる」なんて言われちゃって(笑)。橋田壽賀子先生が脚本を書いたNHKの大河「おんな太閤記」にレギュラー出演した翌年、朝ドラの「おしん」が社会現象みたいになって。38歳のときには、また大河ドラマの「いのち」で女実業家の役で出演させていただいて、40歳で主演した「橋田壽賀子ドラマ おんなは一生懸命」というドラマは、私自身の半生をモデルにしたものでした。

お金は稼げるわ、好きな時間に起きて、好きなものを食べて、好きな海外旅行に行けて、好きな洋服を買って。身の回りの世話をしてくれる人もいて、まさに自由気まま。仕事は忙しかったけれど、ある意味私生活はノーストレス。結婚して夫の世話を焼くような不自由な生活をするなんてまっぴらだと思っていました。
それに、私の場合、親の教育もあります。父からは、「孫の顔を見せてくれるより、芸人として有名になってくれた方が嬉しい」「男なんか信用しちゃダメだ。信用できるのは自分だけだぞ」なんてよく聞かされていました。女一人でも生きていけるように――。それが、私の頭の中で呪いのようにぐるぐると。だから、30代の後半、仕事が絶好調だったときに「徹子の部屋」に出演したときは、「幸せは両の手には乗りません。女優なんてのは結婚しなくていいんです」、雑誌「with」のインタビューでは「一人が寂しいのは当たり前。孤独に耐えて生きるわ」なんてのたまっておりました(笑)。