3月14日、料理人の陳建一氏が亡くなっていたと報じられた。テレビ番組『料理の鉄人』に出演したことで一躍有名になった陳氏は、四川飯店グループのオーナーシェフとして、四川料理の普及や後進の育成に努める一方で、講演やイベントなどにも精力的に参加していたという。
今年1月に『週刊現代』に掲載されたインタビューから、その半生をたどってみたい。
取材・文/丸山あかね
父親は日本の「四川料理の父」
僕の父、(日本で「四川料理の父」と言われる)陳建民は中国・四川省の出身。香港などで料理人をしていましたが1952年に来日します。日本で遊んでいるうちにお金がなくなってしまい、あるレストランでバイトを始めました。その店でウエイトレスとして働いていたのが母でした。

でも、父は日本語を喋れなかったし、母は中国語を話せなかった。おまけに父には中国に子供が3人もいたんです。そんな2人が結婚したのは運命的というか、僕に言わせれば母は変わり者なんですよ(苦笑)。いつだったか母に「どうして父と結婚したの?」って訊いたら「料理がおいしくて、この味を日本に広めたいと思った」と言っていましたけどね。
母はプロデューサーとして父を支えました。僕が生まれたのは父が「四川飯店」を創業し、忙しく働いていた頃。物心ついた時には港区霞町(現・西麻布)のお屋敷街の下にあった長屋に住んでいました。
うちは経済的には豊かではなかったけど、両親は僕のことを心豊かに育ててくれたのがありがたかった。父は朗らかな人でした。母も大らかな人で、僕にとっての異母兄弟が中国から来た時もわが子のように受け入れていました。