日本の「はやぶさ」には人類初の開発技術がつぎつぎと…「NASAと同じことをしてもダメ」という発想がやがて実際に「NASAを追い抜いてしまった」真実とは
「『サイエンスZERO』20周年スペシャル」取材班
サイエンス激動の時代を捉えるため、日本のサイエンス各分野の著名な研究者に「サイエンスZERO」の20周年(3月26日(日)夜11:30~ NHK Eテレ)を記念し、この20年の研究を振り返ってもらうインタビューを行いました。そこでどの研究者からも飛び出してくる驚きの言葉や知見、未来への警鐘とは―。
小惑星探査機「はやぶさ」が幾多の困難を乗り越えて地球に帰還したことは、多くの人の記憶に刻まれているのではないでしょうか。はやぶさは、今からちょうど20年前の2003年に打ち上げられ、小惑星「イトカワ」からのサンプルリターンに成功しました。その後、「はやぶさ2」も小惑星「リュウグウ」からサンプルを採取して地球に持ち帰るなど、今やサンプルリターンは日本のお家芸と言われるまでになりました。
こうした偉業の裏には、「NASAと同じことをやっていてはダメだ」と考え、日本の強みをいかした独自路線を切り開こうとした研究者たちの執念がありました。「太陽系大航海時代」とも言われる今、はやぶさのプロジェクト・マネージャを務めた川口淳一郎さん(JAXA元シニアフェロー)さんに、はやぶさを成功に導いた知られざる戦略と今後の宇宙探査の展望を伺いました。

小惑星探査機「はやぶさ」の出発点は「NASAと同じことをしてもダメ」だった
―ご自身の研究を振り返ると、どういう20年でしたか?
「低推力推進」を使った飛行、つまり「イオンエンジン」を実用化したことがポイントになっていると思います。かつては、低推力推進というのは教科書に出てくる例題ではあっても、実際に飛行に応用するのは「夢物語」でした。そういう机上のものでしかなかったものを実用化させたのが、一番意味が大きい事だと思います。「低推力でも持続的に推進できるエンジンを積んで、最少の燃料で行ける飛行計画を考える」ということを日本が主導して行えるようになったというのが、とても素晴らしいことだと思います。
―それを切り開いたのは、小惑星探査機「はやぶさ」ということですね?
そうですね。何がきっかけだったかと言うと、「アメリカのNASAと同じような事を日本がしてもダメ」ということです。同じようなことをやっても、どうせ先に軽々とNASAがやってしまうわけですから。それが出発点で、そういうことを考えていた30年ぐらい前は、ある種の開き直りをしていた時期なのかもしれません。
日本では、「惑星探査」はそんなに古くからやっているわけではなくて、ハレー彗星(すいせい)を目指して打ち上げたのが80年代半ばで、そのときは単純に飛ばすだけでした。その後の「ひてん」という実験機では、「スイングバイ」という天体の重力を使って軌道操作を行うという飛行に関するいろんな技術を蓄積したというのがやはり大きかったです。そんな中に一貫してあったのが、「NASAと同じような事をやってはダメ」なんだと。その結果、それまで例題でしかなかったような飛行を、実際の飛行で使うことに乗り出せたということです。