2023.03.15
天皇が「崩御」したとき「皇后」はどんな反応をしたか? 女官が目撃していたこと
「いつもほおえんでおいで」になった
現在、日本の皇室は、あとつぎの問題などによって、岐路に立たされているとでも言えそうな状況です。日本の市民も、皇室について知識をたくわえておくべきタイミングかもしれません。
皇室について知るためには、その歴史を知っておくことが重要ですが、皇族の人々がこれまでどのような在り方をしてきたのか関して、ニュアンスに富んだ情報をあたえてくれるのは、皇族のそばで仕えた職員たちの手記や記録でしょう。
明治天皇やその妻・昭憲皇太后については、この夫妻に仕えた女官として、山川(旧姓:久世)三千子という人物が知られています。
彼女は1909(明治42)年に宮中に出仕し、1914年に退官するまでの足掛け6年間、天皇家の「内側」の奥深くをつぶさに目撃しました。
彼女の当時の経験は、『女官』として1960年に実業之日本社から公刊され、世間に衝撃を与えたとされます(現在は『女官 明治宮中出仕の記』として読めます)。
同書を読んでいると、皇后(=明治天皇の妻・昭憲皇太后)の置かれた立場の難しさについて考えさせられるようなシーンに出くわすことがあります。同書からそうした部分をご紹介しましょう。

まず山川は、皇后(山川は「皇后宮様」と呼びます)について、その性格を以下のように振り返っています。
〈大勢いる女官たちにも、すこしのわけへだてもなく、いつもほおえんでおいでになって、お言葉はすくなく、こちらから伺わなければ、あれこれとあまりお指図は遊ばしませんが、女官たちの気性も皆よくご存じのようでございました〉(63頁)