〈私が出仕した時は(中略)たいへん人手不足の時でございましたので、先輩たちからゆっくり指導を受ける暇もなく、まだ品物の名さえしかとわからぬながらに、一本立のような形にさせられて、まごまごしておりました。すると誰もいない時に、
「わからぬことがあったら、他に人のいない時なら何でも教えてあげるよ」
との、おやさしい言葉を戴きました〉(63-64頁)
また、〈誰かが或る雑誌に書いていたように、ただただ無感情でおいでになるのではなく、この大世帯のために、苦しくとも無理に、そのように装っておいでになるのだろうと存じました〉ともしています。

涙さえ見せない
そのうえでとりわけ注意を引くのは、明治天皇が崩御したときの皇后の様子を振り返った部分です。その反応は興味深く、皇后が置かれた立場の難しさについて示唆を与えてくれる記述となっています。
〈話は明治天皇崩御の時のことでございます。女官全部が一人一人、皇后宮さまに御挨拶申し上げました時は、「本当に恐れ入った御事で」と、はっきりお答えになって、あまり涙さえお見せになりませんので、私は何か不思議なような気が致しました。そして数時間後、お召替えのために御休所(ご自分のお部屋)へお供いたしました時、
「私の悲しいのは誰よりも一番でしょう。しかし私が泣きくずれていては、後のことがどうなると思いますか」
と、仰せになって、ハンカチーフをお顔にお当てになりました。
それを拝見して私は何とお答えの仕方もなく、ただ深く頭を下げておりました〉