1985年12月12日に「仮面舞踏会」でデビューを果たすやいなや国民的大ヒット、日本を代表するアイドルとなった少年隊。東山紀之さん、植草克秀さんとともに少年隊で大人気を博し、現在ソロとして、そして舞台演出家として活躍する錦織一清さんの2冊目の著書『少年タイムカプセル』(新潮社)が刊行された。

これは幼少期からジャニーズ事務所に入所した経緯、ダンスへの思い、そしてジャニーさんと二人三脚で多くのエンターテインメントを生み出してきた軌跡などを、ミュージシャンで音楽プロデューサーの西寺郷太氏がインタビューをし、まとめた一冊だ。

今でこそ歌って踊れるアーティストたちが多く出ているが、振り返ると、少年隊という存在は、日本のダンスのクオリティの大きな指標となった存在といえる。その錦織さんがジャニー喜多川さんとともにエンターテインメントを作り上げてきた経緯は、まさに今の日本のエンターテインメントの誕生史でもある。

そこで、エンターテインメントをどのように作り上げてきたのか、ジャニー喜多川さんからどのような影響を受けたのかインタビュー。前編では、まだYouTubeもネットもなかった時代に、ジャニーズ事務所でなぜ高クオリティのダンスが完成していったのかを伺っていく。

撮影/森清
 

少年隊のデビューをメリーさんに直訴

ーー錦織さんがジャニーズ事務所に入所したのは小学6年生のとき。本書では、ダンスの経験はなかったにも関わらず、オーディションでは踊ることができた。それでジャニー(喜多川)さんに「YOU、天才だよ!」と言われたと書かれています。

褒められたのは、それが最初で最後だったと思います(笑)。僕は運動が好きで、小さな頃から身体を動かすことばかりやってました。ダンスについては、夢中になったと言うより、当時は子どもだったので、踏めないステップがあることが悔しくて仕方なかったんです。「同じ人間なのに、自分にはどうしてこの動きができないんだろう? できる人は、どういう重心とバランスで踊ってるんだろう?」って。それで一生懸命やるようになりました。

――錦織さんは、少年隊のデビューをメリー(喜多川)さんに直訴したのだとか。

そうです、1984年の大晦日。その日は事務所で忘年会があったんですが、メリーさんの部屋のドアが開いていたので、「ソノシートでもいいから、そろそろ俺たちの曲を出してくれよ」と一人で言いに行きました(笑)。メリーさん、笑ってましたけどね。

そしたら半年くらいたって、少年隊とメリーさんとで雑誌の取材か何かで修善寺の高級旅館「あさば」に行った際、突然「あんたたち、デビューするわよ」って。ビックリしたけど嬉しかったです。

メリーさんには、人として大事な一般常識や礼儀作法を厳しく教わりました。その時は「うるさいなあ」と思っていたけど、年月がたってみると「この場ではこう行動すればいいのか」とか、すごく役に立っている。僕なんか40歳を過ぎても、うっかり関係者への挨拶を忘れた時に、メリーさんに「挨拶!」って首根っこつかまれて頭下げさせられてましたからね(笑)。

ジャニーさんが仕事で恥をかかないように仕込んでくれた人だとしたら、メリーさんは人として恥をかかないようしつけてくれた人だと思っています。

撮影/森清